2017年10月19日

御山洗

            今朝の富士山 10月18日
   週2回のゴミ出し、自転車で田圃道を行くのだが、行きは富士山に背を向けて
   帰りは田圃道の正面に富士山を観てペダルを踏む。2日続きの「御山洗」の後の富士山は見事だった。
   黒々と何時もの何倍もの大きさで、雄々しいのだった。
   晴れている日の早朝、富士山を見ることは夫の習慣になっていたから、今朝の富士山を見たら
   なんと言っただろう。たぶん「お母さん、早く早く!」早朝、外で呼ばれたら、これは富士山のこと。
   今朝の富士山もきっと「お母さん!早く早く!」と言ったに違いない。
  
               家の和室から
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   此処に家を建てた頃は大井川の堤防も見え、富士山の全容を見ることが出来たのだが
   その後工場や住宅が立ち並び、以前の様にすっきりとした富士山は望めないが、障子を開ければ
   富士山が見えるのは有り難い。

        金輪際御山洗の後の富士     ふきのとう
posted by ふきのとう at 07:37| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

仏壇の置き場所

           北向きは良くない?
   生前夫も私も仏壇の置き場所(向き)はあまり気に掛けてはおらず、届いた仏壇はCDコンポの続きに
   北向きで置いていた。気に掛けてはいないと言っても、北向きでない方が良いことぐらいは解っていたが
   暮らしを優先すれば、仏壇に叶う置き場所とは言えないこともありうるだろう。
   87歳になる姉は北向きに置いている仏壇を非常に気にしていて「他に置き場所がないの?」
   我が家にやって来るたびにそう言うのだった。「いいのいいの、未だ誰も入っている訳じゃないから」と  
   答えていたのだった。。図らずも夫が先になってしまったが、いざとなると姉同様に気になるのだった。
   そしてリビングの窓際に近い場所に東向きで納まった。

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   リビングは南向き、手前の椅子が私の指定席、その向かいの椅子に夫が坐り、単身赴任
   出張以外は別として、この家に暮らしてからの46年間を同じテーブルと椅子で暮らしてきた。
  
   雑多な場所と言へばそうであるけれど、食事する時も話しかけたり、お茶や、お3時もお相伴してもらえる。
   先日姉が来てくれて「〇〇さん、良いところに納まったね〜ぇ!」と言ったから「そう?食器棚も流し台も
   見え見えだわねっ!」と言ったら「大丈夫、仏様は賑やかな場所が大好きだって言うから」と言うのだった。。
   位牌の戒名が仕上がったと、届けてくれたご住職に「南向きにできるといいのでしょが.....?」と
   言うと「いいじゃないですか!本山の妙心寺に向かって、お手を合せることになりますから」と言ってくれた。
   要は東西南北、何れの場所であっても「心」が大切である、とい言うことであろう。
   仏壇が必要であるか無いか話し合った時も「残された者の依代、拠どころ」として必要であろうと、考えが
   合致して購入したのだった。仏壇が届いた、日自己中心の私は「ねえ!私が先にお仏壇に入ることなっても
   お3時、1人で食べないでどんなに小さななものでも半分づつにしてお仏壇に上げてね!」と言った。
   「はい、はい」いつも通り無難な返事が返ってきたのだった。
  
       生前の慈顔に目見え貴船菊      ふきのとう
   
   家の中で最も多く過ごす場所だから、今日の私の行動、訪問者など、一目解ることだろう。
posted by ふきのとう at 09:20| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

初めての外出

              渥美半島.伊良湖崎
   10人乗りのマイクロバスで、このところ外出が面倒になってしまった私を見かねて句友の他
   言葉は良くないが員数として、いつも参加してくれる親しい友人たちに誘われて伊良湖へ。
   4ヵ月ぶりの外出だった。この事を娘に知らせると「了解、父の話ばかりしてまわりに気を遣わせる
   事の無き様に、いってらっしゃい」と車中の私にショートメールが入った。
   「ご心配ありがとう、そうします」の返信。ポケっとしている事は確かなので、予め1人席を幹事さんに
   お願いしておいたので、ipodを耳に。 誂えたような好天に恵まれた。

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   このところ家の中をちょこまか歩くだけだったので足さばきも悪く、見晴らし台にやっとの思いで登った。
   海を見霽かして「私を置いていっちゃって、タカシノバカ〜ぁ!って言いたい心境だわ!」と言うと
   周りの皆が、「そうそう!言ったほうがいいよ!すっきりするから、ほらっ!早く言って!」本当に
   そう思ったし、言いたかったから「タカシノバカ〜ぁ」と海原に向かって叫んだ。
   「そうだ!そうだ!まったくだ!」異口同音にみんなの返事が返り、図らずも涙が溢れてしまった。

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   美味しいはずの海鮮、3/1しか食べることが出来なかった。
   「食べ物を残さない」の主義が崩れて悲しい。

       秋の港風の置きゆく雲ひとつ    ふきのとう

       大鷹は空の王者よいさご吹く    ふきのとう
   
   海岸には大きな望遠鏡を装着したカメラが並んでいて「鷹の渡り(鷹柱)」待つ人々で
   いっぱいだった。鷹の調査班もいて、詳しく説明をしてくれたのだが、何一つ記憶に残らない。

   娘の言う様に、延々と夫の事ばかり書いたので皆さん辟易されたことでしょう。
   また書くことになりましてもお気遣い無き様に、書くことで落ち着く鬱もありますので。

   

   
   
posted by ふきのとう at 20:59| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

ダンサーの一撃に遭う!?

               夫のゆる〜い話
     学生時代、喫茶店のはしごをすることが良く有ったと言うから余程のコーヒー好きだったようだ。
     「面白い話を聞かせようか」と言った。内容は以下である。
     コーヒー皿に付いているスプーンを良く失敬したのだと言う。失敬と言えば聞こえは良いが
     明らかに窃盗だ。その数、裕に150本は有ったと言うから店主が訴ったへれば、窃盗罪も成立する
     程の数だ。確かに結婚当初、不揃いのスプーンが机の引き出しに何本も入っていたことがある。
     或る日、研究室の仲間と日劇でラインダンスを観たのだそうだ。と、その中のダンサーの1人に
     ハイヒールで蹴られ、よくよく見ると何時も行く喫茶店のウエイトレスだったと言うではないか。
     「ヘエ〜!、それって齧り付きで観てたってこと!」私が言うと「詳しいね!観たことあるの?」
     「T don’tknoミタコト、アリマシェ〜ン!」と言ったら「可愛くないね!」と言はれた。
     土俵の真ん前なら「砂被り」そんなことぐらい誰だって知ってますよ。

     喫茶「榛の木」へ20年、しかし「榛の木」閉店後は無類の日本茶党に変身、自らコーヒーを飲むことは
     なかった。元来甘党であったから、練り切りの和菓子は特にに好んで食べた。
     晩年は自作の容器に金平糖を入れて湯飲みと金平糖を持って、家のお気に入りの場所、冬は
     お日様を追って、夏は風の良く通るところを転々としていたのだった。

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     金平糖の補充は、気が付いた時に私がするのだったが「食べても食べても減らない金平糖」と
     言っていた日のことをを昨日のことの様に思い出す。

         食卓のボンボニエール小鳥来る      ふきのとう   

        「鳥渡る、小鳥くる」正確には群れ成してくる渡り鳥でなくてはならないが。
         

     
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2017年10月09日

「お父さん一色」

                 .....と言はれても
     先日「この家、お父さん一色だね」と娘が言った。そう、家の至る所に夫に因むものや写真が
     置かれているからだ。人には2度の死があり、1度目は命果つる時、そして2度目の死は
     思い出も含めて人に語られなくなった時だと言う。

     納骨の日の精進落しは、夫のよく行っていた店にお願いした。ここのオーナーは、この町初の
     喫茶店を開店、我が家から歩いてで7、8分くらいの距離、こんな田舎にと驚いたのだった。   
     後に天麩羅が売物の和風料理の店に代った。今日は思いがけなく夫との思い出話をしてくれた。
     昭和47年に喫茶店を開いた時から夫との付き合いであったこと、我が家はその前年に引っ越した。
     喫茶「榛の木」サイホンで淹れてくれるこの店が出来た時、夫は大そう喜んで会社の帰り
     休日の朝は家の掃除が終はる頃まで新聞持参で行くのだった。
     「キリマンしか飲まなくて、指定席もあってね、ところで旦那さん、出身はどこ?」この言葉に
     一同「やっぱりね!黙って目をつむって指定席に座ってたんだね、伯父さんらしい!」と言った。
     店主とは珈琲で20年 、天麩羅で25年の付き合いと言うのに....店主も敢えて夫に尋ねは
     しなかったのだったと。夫に同伴した時も、天麩羅の後に美味しい珈琲を淹れてくれた。
     帰りがけに、「これ旦那さんに淹れてやって下さい」と言って珈琲豆を持たせてくれた。

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     家に帰ると直ぐに、豆を挽いて、「ドリップで90℃の湯」言はれた通りに淹れて
     先づは夫に、そして皆でお相伴、「ああ、美味しい!」口々に言った。

        残る虫何を言ひても独り言     ふきのとう
   
     
      
     
posted by ふきのとう at 20:17| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月08日

納骨式

                残された者ともの
      或る日「ねえ?僕が死んだら寂しい?」と唐突な質問をされたことがある。
      「世の中に配偶者を失って寂しくない人がるといる思う?」と答えた。
      こう言った返事しか出来ない自分を反省している「寂しい、寂しい!」と言へばよいものを。
      その後、夫との提案で小さな仏壇を買った。何年経つだろうか、かなり前のことだった。
      材質は胡桃の無垢で、扉や位牌などに象嵌を施してある、高さ35cm横27.5cm程の
      厨子型仏壇を選んだのだった。同じ材質の位牌には、1人用と2人用があり、「一緒でいいじゃない」
      と夫がいうので2人の戒名を書くことの出来る、少し大き目なものに決めた。大き目とは言っても
      小さな小さな仏壇だから大きさもそれなりのものだ。そして「寂しい?」の質問には意味があった。
      陶芸を趣味としていた夫はその時、分骨用の入れものを拵えていて、「位牌だけ拝んでもらっても
      意味が無いから分骨して、君が来る時一緒に持って来てよ」と言うのだった。
      「死んでからなら、菰にでもに巻いて捨ててくれても構わない、生きているうちに大切にしてよ」
      が口癖だったことは家族の誰もが周知のこと。夫が亡くなって指定の箱を開けると、4個の茶入れ
      ほどの大きさのものが出てきた。夫も私も好きな「白萩」の釉薬が施されていた。
      念のため、お世話になる寺の僧侶に尋ねると「粗末に扱わなければ大丈夫です」と言はれ、夫の
      希望に沿い、火葬場に分骨を願い出ると、収骨の際、それはそれは丁寧に遺骨の一部を、小さな
      壺に収めてくれたのだった。

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      納骨式を済ませ、自宅の仏壇に位牌と共に収めたが「よかったじゃない、これなら母さん
      寂しく無いじゃないの」娘も息子も、孫たちもそう言った。そう、これからの私を見守って
      くれるのではないかと思っている。

      金属性のものは納棺出来ない為、眼鏡、腕時計、愛用の万年筆、が他の遺品と共に残された。
      納骨の際「〇〇寺さん、(私は寺名の後に「さん」を付けて呼ぶ)主人は眼鏡を持って行けません
      でしたがあちらで大丈夫でしょうか?困ったりしないでしょうか?」私の問い掛けに、「大丈夫!
      六文銭もお持ちですから、視力に有った眼鏡をあちらで買えますから」これには参列してくれた
      兄嫁、姉、甥、姪たちも大笑いした。万年筆は息子が持って帰った。    


      黄泉のこと吾に伝え来よ秋さくら      ふきのとう
      
      
      










    。
posted by ふきのとう at 16:33| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

1971 静岡へ

              田舎暮らしの始まり
    戸建でない住まいは、新築とは言へ子供には不自由が沢山あった。
    階段で遊びたくても隣への配慮で遊べない、夫が娘のために作った砂場も余所の子に占領されてしまう。
    娘は幼いために巻き込まれることもなかったが、子供同士のトラブルなどetc...。
    そんな日常を知った夫が小さな家だが静岡に建てる決心をしたのだった。
    私の両親、殊に父親は婿養子であったから「男が嫁の実家近くに家を建てるだなんて」と猛反対
    母は母で親が娘を近くに「呼び寄せた」と思われることは真っ平だと賛成しなかったが、何と言っても
    富士山の見える田園地帯を夫が気に入り、父に懇願して地主に掛けあってもらい、実現したのだった。
    単身赴任を覚悟だったから、初めの数ヵ月は母子だけで暮らしたが、幸運の女神が訪れて、何と
    夫に静岡工場転勤の辞令が下りたのだった。  バス−電車−バスに乗り継いで、約1時間掛け
    ての通勤であったが、東京暮らしで慣れているので、他人様が思う程大変ではないと夫は言った。
    預かったツトムくんは1歳になろうとしていて、別れがとても辛かったが、引っ越しにはお父さんが
    有給休暇を取って手伝いに来てくれたのだった。

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     埋め立てと同時に、今は亡き次兄が挿し木しておいてくれたヒメマサキを生垣として植えた。 
     休日の夫は庭づくりに余念がなかった。そして私の学びの物理も「これ位で良いだろう」と言う
     ことになり、英語もbrokenEnglishではあるが夫の簡単な問いかけには返事が出来た。
     数年前にイギリス出身の婦人が主宰する茶話会風の英会話に誘われて参加していたが、
     カテーテルのアクシデント以来中断してしまった。 昭和48年には長男が生まれ家族は4人となる。
  
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     静岡に来てから63歳の定年までには、群馬、犬山、神奈川など単身赴任もあったが
     平成12年に娘が、14年に息子も結婚して家庭を持ち、私たちの2人の暮しがスタートした。
     
     夫との来し方を、駆け足で振り返りながらの1週間、冷蔵庫に貼って覚えた数学、物理
     反発したことも多々有ったが、今は有り難かったと心から思える。電車に乗れば相対速度
     稲妻が走れば、車中の安全性など直ぐ様思い出すし、新聞に掲載される高校受験問題も解い
     てみようと思えるのもあの日の夫のお蔭である。「国語は僕より強いから省こう」と言はれたが
     そんなことは無い、夫から私への恩情のほかならない 。

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     遺品の中から見つけた「えんぴつで奥の細道」は平泉を書き終へて途切れている。
     明日の納骨が済んだら引き継いで結びの地、大垣まで書くことにしよう。
     次頁の「南部道遙にみやりて岩手の里にとまる」に始まる尿前の関、唯なる偶然とは思えない。
     
      エッセイのようなものが書ければ、他人様にご覧いただく日記と言えましょうが
      あまりに内生的な日常を書いてしまいまして、お恥ずかしい限りですが、見守り
      ご覧いただいたことに感謝申し上げます。
                            ふきのとう

            納骨の手筈ととのふ仲の秋    ふきのとう

     *昭和48年に夫は運転免許証を取得する。東京時代に大きな自動車事故(人身事故)を目撃した
      という夫は、車には乗りたくないと言っていたのだが、通勤時のバスの中で眠ってしまい
      家からかなり離れたバス停まで、何回か乗り越してしまっのだった。
      意に反しての免許証取得の様だったが、以来、定年するまで自動車通勤をしたのだった。

     
posted by ふきのとう at 22:31| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする