2018年08月13日

改めて

迎え火を炊く
過日の一周忌と新盆を修したときも炊いたが、この辺りの風習に倣い、昨日からまた迎え火を炊く。
「お父さんは焚き火がすきだったよね〜ッ!」息子、娘、私が異口同音に言ったのだった。

昨日の夕刻の迎え火は私一人で焚いた。手順は夫の薀蓄通りに、火が付く三原則と夫が言っていた
燃料、熱(マッチ)酸素、これは売るほどある?空気の流通をよくすること。

この松明、仏具店で購入した物、見た目は良くないが、国産の肥松の根で、よく燃ええる。

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新聞紙(がみ)も夫のしていたように丸め、(新聞紙を縦長に裂き、なるべく空気を入れるように丸め巻終わりを
輪の中におさめる)燃料も大きさを揃え細く小さなものから焚き付けて行く。
「あなた、焚き付けの場合は「しんぶんし」って言わないのよ、!読む前と読んでいる時が「しんぶんし」読んで
しまったものは「しんぶんがみ」って言うのよっ!」私の屁理屈を「うまいこと言うじゃない!その通りだね」!夫が
妙に納得した彼の日。

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「あなた、見てました?上手く燃えているでしょ!マッチも一本で済んだわっ!」
「さすが僕の奥さん!」「ええっ!?いま何て言った、?風か少し出てきたから聞こえなかったわっ!」

迎え火の炎の先に亡夫佇つ      ふきのとう




posted by ふきのとう at 07:45| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月11日

眠れぬままに...

もしも...
心して聴いてはいるがラジオでは彼日の戦争を伝える番組が多い。
うとうとしながら聴いているのだが、眠れないままに、もし自身が大正、或いは昭和一桁に生まれていたらと
思った。17年生まれから一桁引いて7年生まれであったとしたら勤労動員組織下に身を置いて、三人の姉達が
そうであったように、来る日も来る日も風船爆弾を作っていたに違いない。
夫も一桁引いたなら、確実に学徒出陣で明治神宮外苑競技場で行進の列に加わっていたに違いない。
そして、電気工学が専門だから、最前線に身を置くことになっただろう。
<死んだ男の残したものは、壊れた銃と、歪んた地球>谷川俊太郎の詩の一節が心を過るのだった。
夫も私も戦中生まれではあるが、多くの戦争犠牲者のもとに<死んだ彼らの残したものは生きてる私、生きてる
あなた>そのものである。
父も中国から生還、油送船に乗っていた長兄も生還、兄の持って帰った布団は、何か所も弾痕があったと言う。
もしもの話ではあるが、「もしも」は当たっても、外れても百パーセントということだ。

「いつ死んでもいい」などと、思い、口にもしたが、言ってはならないと真実思った。
日の出も遅くなって、起きてしまうには早いと思ったが4時15分には起きてしまった。

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初めてのちちろを聞けり二十五時     ふきのとう





posted by ふきのとう at 07:46| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月10日

長崎忌そして誕生日

mybirthday
同報無線の告げる「長崎忌」サイレンの相図と共に黙祷、近くの寺からも鐘の音が聞こえる。
敗戦国は勿論の事、戦勝国にも多大の負荷を課す戦争は断じて許さない。
核の三原則も足許の揺らぎつつあるのでは?ふと思う昨今、沖縄県知事の逝去、複雑であった。

そんな折、娘家族がやって来た。私の誕生日であるが珍しいことだ。独りになったからであろう。
昼食はお鮨屋さんというから「家の方が落ち着くから、家で食べましょ!」と言ったのだが
「手間が掛かるから」と言って外食となった。この季節一番好きな桃のケーキも買ってもらって帰宅した。

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午後、娘たちが返った後、盆用意の際ご近所で頂いた蓮の葉、その時咲いていた花も終わり、硬くなった萼を
頂いてあったから細工をした。
茶碗蓮だから、花も小振りであるし、萼も愛らしい、有り合せの古布に綿を詰めて、よく見かける細工だ。
大きい蓮の萼の細工よりも好ましく1/10の大きさで、小さなもので2p、大きなもので4pほど、見た目にも良い。
夏の供花は直ぐに萎れてしまうので、酷暑の間だけでも間に合わせとする次第。

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カメラは販売先がyahoo決済だったため、娘に頼んだが、本日、娘に支払した。


街頭に今日の水買ふ長崎忌       ふきのとう
posted by ふきのとう at 08:43| Comment(8) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月07日

嬉しい礼状

            カメラが.....
「手が滑った」のではなく「手を滑らせて」カメラをベランダの石の上に落してしまい
使用不可能となり、選んだカメラを娘に頼み買ってもらうことにした。
それまでのカメラは、2年前に嫁の買ってくれたものだったから、今回も同じものを購入。
本日そのカメラが届いた。

早速、数日前から咲き始めた「キツネノカミソリ」を撮った。

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去年より、少し早目の開花だ。
名前は「葉」の形に因むようだが、花の色は和の色をしていて美しい。
昨日が見頃であったが仕方のないこと。

そして午後にははとても嬉しい出来事が......
先日、簡単服を縫って送った姪孫から、とても丁寧な礼状が届いたのだった。

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サイズもちょうどよく、私が「短い時間ではあったけれど子供たちをよくみていてくれたこと」が嬉しかったとあった。
この夏たくさん着せて、折を見て写真も送ると記してあった。

電話でお礼をと思ったが、3人の子供たちに囲まれて「1人の時間」が持てないと言う。
それはそうだろう、母親が電話している時に幼児の事故は多発する、気を付けなくてはならない。
それゆえ「手紙で」と言う事だったが、綺麗な文字で心のこもった礼状は、私の心を占めて余りあるものだった。

礼状の文字の涼しき夕べかな     ふきのとう

posted by ふきのとう at 12:49| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月03日

前号に続き

           主催の評価は頂けないが...
一昨日俳誌が届いた。
隔月投句であるから、日ごろ佳句に恵まれない私でも何とか続いている。
それまでの結社はカテーテルのアクシデントに遭い、俳句状態ではなく退社し、その2年後に現在の結社に入会。
頑張れない私は「結社」に属さなければ俳句は作らない、怠け者だから、自分で自分に「枷」をかけた。
慎重に結社を選んだつもりであったが、若々しい会員の皆さんに、甚だついて行けず、低迷が続いている。
主宰には敬遠されているが、先月に続き、今月も(天為)福永法弘氏の選をを得ることとなった。
破調の句ではあるが...

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隔月刊行であるから「季」がずれるのは致し方ない。

行方不明のやうなる吾子よ鳥雲に     ふきのとう

疾うに使用されなくなってしまった息子の部屋に掃除機をかけていた時、脳裡に浮かんだ句だ。
願わくば「主催の選に」と思わなくはないが、嬉しい出来事であった。

posted by ふきのとう at 10:47| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月01日

手仕事

              姪孫とその子供たちに
兄嫁の葬儀の時、3日間をお世話になった、夫の生家、後を継いでいる甥の子とその子供たちと
とても親しくなった。
4才、3歳の男の子、やがて1歳になる女の子、一切の世辞など言えない私なのに、4歳の子にはとても
好かれて「オバチャンさんぽに行こう」と言う誘いに、近くの農道を歩き、クローバーの花冠を作って遊んだ。
そして、女の子も人見知りもせず、私の抱っこに応えてくれて、良く抱っこさせてもらった。
姪孫も婆さんの私を疎ましむことも無く話し相手になってくれた。
夫のいない夫の生家で、幼子と接することは、私に「やすらぎ」の時間をもたらしてくれたのだった。

何かプレゼントをしたいと思っても、物の有り余る時代、何も浮かばない。
「そうだ!利用して作ろう!」毎年頂く祭り手拭いで簡単服を作ってみた。
サイズを聞こうと思ったが、「きっと遠慮するに違いない」と思い、当てずっぽうで縫うことに。

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スカートだけは、横布で

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布目を通すと「祭」の文字が横になるので、別布を縫い付けて見た

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手仕事の汗に軋むよ針と糸    ふきのとう







posted by ふきのとう at 12:20| Comment(10) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月30日

避難しました

             避難勧告
曇り空ではあるものの、風も無く、雨の気配も無いのに同報無線で「避難勧告発令」あり。
「お年寄りは慌ててず、余裕を持って避難してください」避難場所の指定と共に、何遍も繰り返す。
生家に電話をすると、甥が出て、快く私の非難を受け入れてくれた。
先程と打って変り、風雨が強く、出した自転車を戻し、歩いて10分の生家へ行った。
夫の遺骨と位牌の他は何も持たず、携帯電話も忘れてしまったことに、途中で気付く。
慌てていたわけではないが、それまで必死でミシンを踏んでいたから(やっぱり慌てていたのだ)

甥の嫁と、兄嫁が夕飯の仕度をしてくれて「何にもないけど食べて」と言う。
何と、古い古いお盆に乗って出てきた。私だけではない、甥も、その嫁も、兄嫁もお盆で。
「ええっ!チズコさん、いつもこうなの、私の子供の頃のまんまじゃないの!」
「ねえ、私の真似をちゃんとしてくれて、ありがたいのよ」と兄嫁は言った。

 雑談の中で髪の毛が話題に上り、とても面白かった。
「昔、髪の毛が多くて、悩んだのが嘘みたい、こんなに薄くなるとはゆめゆめ思わなかったわ」
「ほんとだねェ、三つ編みが太くて、真っ黒で...」と、兄嫁は言った。
「それかから眼も、1/3にしょぼついちゃったわ!」
「初めてあった時、4年生だったよね、眼がくりくりしてて、人より沢山見えるだろうなあって思ったっけ」
「あらっ!お義姉さん、覚えていてくれて嬉しいわ!、可愛いなんて、1度も言われなかったけど
この子の眼は人より余分に見えるずらねって、ご近似のお年寄りにはよく言われたのよっ!」
甥の嫁は「信じられない」と言うような顔であった。

おかずの1つに、とろろ汁があり、少しづつご飯にかけて食べようとすると兄嫁が言った。
「ほら、そこにお匙が付けてあるでしょ、ご飯の真ん中を開けて、とろろをかけて」
「はいはい」と言って半分かけると「全部かけて」という。
寝る時に至っては、タオルケットの使い方、テレビ、扇風機の使い方、寝る前に仏壇を拝むこと
もしもの時の為に、廊下の灯りは消さないこと、等々、兄嫁の中では私は、未だにあの時のまんま。
例えは良くないが、台風のお蔭で何十年ぶりの生家への「宿泊」、とても有り難く嬉しかった。

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東の富士むらさきに台風過        ふきのとう
posted by ふきのとう at 04:29| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする