2017年11月01日

今で言うホームレス?

                ある夜の上の駅で
      ウナ電で知らせを受けた、義父の危篤、先づ夫に知らせ、娘をお隣にお願いして
      私は郵便局に預金を下ろしに急いだ。義兄からは義父が危篤状態になった時は電報で
      知らせるが、兎も角慌てないようにと前々から聞かされていたが、いざとなると落ち
      着いてはいられないものだ。喪服や着替えを詰め込んだ鞄を持ち、留守中の事を両隣に
      お願いして、高槻−京都−東京−花巻まで急ぐ、上の駅に着いたのはその日の夜の九時
      過ぎ、寝台特急「はつかり」を待つための、上の駅のホームでの出来事。
      夫が娘と私の為に飲み物と食べ物を調達するべく駅構内の「売店に行って来るからここで
      待ってて」と言い、ホームに新聞紙を敷いてくれたので、私は眠っている娘を抱いて鞄と
      共に言はれるままに夫を待った。当時の上の駅は、人影もまばらで薄暗かった。
      何やら、遠くから鉄道公安職員がライトを振りながら私と娘に近づくと、職務質問をされた。
      紙袋を抱へ遠くから「すみませ〜んそれは私の女房と子供です!」
      と言って駈けてる夫の顔をライトでを照らした。男性は背広を着れば様になるが、痩せてしまった
      私は濃紺のツーピースもだぶつき気味で、おまけに貧相で子連れ、髪をゴムで纏めていた
      だけだから、路上生活者と思われたのだろう。「こんなところに座らせないで、あっちの椅子
      掛けさせなきゃあ!」と言って公安員立ち去った。義父の最期もを看取ることも出来、
      兎も角、急いで来たことに安堵したのだった。昭和46年6月17日夜の上の駅の体験だった。

      DSCN0240.JPG
 
      比較的出来の良い作品は他人様にお譲りしたために、あまり納得の
      ゆく作品では無いが、目に触れるところに飾り、自己満足している。
      夫が見たら「やめたほうがいいよ」と言うだろう。

      手に馴染む萩の御本手秋しぐれ    ふきのとう




    
posted by ふきのとう at 18:22| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

雨の日を処す

              こんなものが.....
    野良に人影もなく、雨音と自家水道のモーター音、暮らしの中の音はそれくらいのもの。
    時折鳴く鳩のくぐもる鳴き声は、独りで聞くにはもの悲しい。「そうだ引出しの整理でも」と
    思い立ち、夫の文机、自分の机の引き出しの整理をして、極力使はない物を始末しようと。
    使えない物は難なく処理できるのだが、例え使はないと解っていても綺麗に在るものは
    中々捨てられないが、思い切りも必要と思い、思い切ったつもりだが、未だまだ残る物も多い。
    夫の文箱の中から49年前の娘の「出生届」の封書を見つけた。

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    主治医の文字、夫の記入した文字のインクも色褪せずにくっきりと読める。
    面白いのは(結婚式をあげた時、または同居を始めた時のうち、早い方を書いてください)と
    あること、新生児の体重の単位が「瓦」で記されている事だ。
    「鉛筆や消えやすいインキで書かないで下さい」の注意書きもある。1通は提出したのだから
    手許に残してあるのはどうしてか、私には解らない。
    2人の子供の命名は、私の入院中に夫が決めて届出をしてしまうので、事後承諾するしかない。
    私の父も独断で私を命名し「呼びづらい」と言った母に「俺1人で呼ぶから良い」と言ったと言う其れ
    に似ている。娘の名前はあまり類をみないが、花巻でも静岡でも初めての知る人を「ええっ!」と
    言はせ、大阪時代は「うちの子が、おたくの赤ちゃんの名前、〇〇〇ちゃんやって言うんやけど、
    ほんまなの?」本当だと答えると「愛称やと思うたわ!ほんまやったんやね〜ぇ!」とよく言はれた。
    主治医は検診の際「横文字で書くととても良いね!これからは海外との交流も盛んになるし、第一
    この植物は内外を問はず誰にも好かれていますから」ササッと横文字でカルテに書いてくれて、
    娘の名前に困惑しいる私を良く励ましてくれた。昨日訪ねて来てくれた姪が「今なら驚かないけど
    50年も前のことだものね〜ぇ」と言った。肝心の娘は就職の際、教授が名前を憶えていてくれて
    (成績ではなく)推薦就職でき、名前に感謝したと言うのだった。「お父さんは、姉さんに甘かった
    もんね!」と言う弟に「そう!誰よりもお父さんに愛されていたのよ!」と豪語した。

        子が父に合はす連弾風ひかる     ふきのとう

    掲句は水原晴郎先生の特選を頂き<聴診器譲る子のでき蕨餅  晴郎>の短冊を頂戴したのだった。
    


posted by ふきのとう at 11:11| Comment(10) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

大型台風

                台風過
    我が家が此処に在ることが不思議と思えるほどの暴風雨に襲われて朝を迎えた。
    町に避難勧告もでて、姉や姪、知人たちも案じてくれて沢山の電話も頂いた。
    台風での今回のような恐怖を感じたことは初めてであった。
    
    昨夜はまんじりともせず明け方、風雨の弱くなった3時ころ眠ったのだったが6時過ぎの
    娘の電話で目が覚めた。雨戸を開けると眩いほどの光が差していて、台風の通過を知った。
    車で、7分ほどの所に住む姪から心配の電話があったが「ありがとう、お父さんのお仏壇を
    置いて行く訳にはいかないから」と言うと「おばさんの気持ちは解るけど...万が一の時は
    電話、頂戴ね!」と。本当に嬉しかった。
    起きてすぐに家の前の道路に出て見渡してみたが、大丈夫の様だ。

         家いへの甍耀よふ台風過      ふきのとう     

                 
               人それぞれの距離
   家族との距離、友人知人との距離、職業を持っているならば会社との距離、暮らしの中の距離等々
   遅い朝食を摂りながら、ふと思った。
   夫は距離感をどう保って来たか、今思うに、夫にとっての最短距離は「家」ではなかったかと。
   順位を付けるとすればその次が「会社」そして友人知人、地域の人々の順で有ったように思へる。
   親兄弟、親族は論外としての順位だ。職業従事者に於いて、最短距離に置くのは「会社」ではないか
   と考える向きが多いのであろうが、夫は違っていたように思う。「家庭有っての会社」と位置付け
   していたのではないか。口が酸っぱくなるほど「日常を大切に」と家族全員が叩き込まれていたから
   余計にそう感じるのかも知れない。単身赴任の時代も私宛に葉書が良く届き、特に高校生だった息子の
   事を気に掛ていた様子が窺える文面が多い。月曜日の早朝3人で見送るのだったが、玄関前の道路を
   通過する時、夫の鳴らすクラクションを合図に家族は家に入るのだった。毎朝3人での見送り、夕飯は
   連絡の無い限り「9時まで待つ」は、息子が高校生になるまで続いたのだったが、先日「冬の見送は
   堪えたたよね」と口々に言っていた。半ば職業を持たない母親の犠牲になった様にも思ったことだろう。
   2人の子供が自主的にした行為とは言い難く、言はば、それが最善と思い、させた行為なのだから。
   職業を持たない分、執拗に家事に拘り、子供に課した様々な事、今は反面教師として娘も、息子も
   緩く、甘い子育てをしているように思う。
   
   DSCN0398.JPG

    
posted by ふきのとう at 12:19| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする