2017年10月27日

書くまいと決めていた事

          .....を思い切って書く
ここには書かないでおこうと思っている事件が、私達夫婦にはあるのだ。極々身近な人だけの知る事件「あの事件だけは書けないわ!」と言う私に、これまでを周知の親友ふたりが「あの事件を書かなかったら、あなたじゃないし、ここまで書いたのだから、書かなくてどうするの!このブログのハイライトじゃないの!」嘘も脚色も無い事実だけれど、曲解されるのだけは御免だという思いが私にもある。「いいじゃない!誤解されても、真実があるんだから」先日、励ましに来てくれた親友が口々に言った。書けない気持ちも、書かなくてはと思う気持ちも100%で、いつもブログを書いてきたが今日は一大決心をして書くことに決めた。

              善光寺事件
その日の信州は雲一つない晴天、夫の要望で「鬼無里」へ水芭蕉を観に行った時、事件は起きた。
これまで何回も訪れた尾瀬は何れも、夏か秋で、水芭蕉にはお目に掛かれなかったから、この際信州まで行こうという事になった。元来旅行嫌いの夫が珍しく行って見ようと言うので従った。鬼無里を後にして善光寺が60年に一回のご開帳であることを知り「ねえ、善光寺に寄ってみない」と夫に言うと「いやいや、このまま帰ろう」と夫が言った。「せっかくここまで来たんだし、この次のご開帳には、私達生きてはいないんだから寄りましょ!」と私は言った。すると路肩に車を寄せて「降りて!僕は行くからね」「帰る」ではなく「行くからね」と。ショルダーバックだけ持って私は車から降りて夫を待った。どこかの駐車場に車を止めて来るものと思い、善光寺の参道を歩きながら、寺を見学して、元の場所に戻れば夫が待っていてくれるに違いないと考え、階段廻りを済ませて、降ろしてもらった場所に戻った。約1時間ほど待っただろうか。そう、夫は戻らなかった。ショルダーバックに大金は入っていないし、不安が募り心臓が張り裂けそうだった。そうだ、引き返して見覚えのある観光バスに交渉してみようと咄嗟に思い、客を待っている観光バスをノックして、運転士に「すみません、お願いがあるんですけれど、夫とはぐれてしまいました、お金をあまり持っていないのですが、静岡まで乗せてもらえないでしょうか?」すると「いやぁ、私の一存では決められませんので」と言はれた。すると後部座席の私よりも年上らしい男性が「そりゃ可哀そうに、みんないいら!、この奥さん乗せてやっても!」「いいよ、いいよ!乗ってのって!」乗客の皆が口々に言って運転士の後の1人掛の空席に乗せて貰えた。バスのプレーとには「静岡市〇〇農協婦人部ご一同様」とあった。バスの中では「きっと旦那さんも心配してるでしょうよ!」とか「奥さん良かったら、これ食べて!」などと、皆、とても親切にしてくれた。私はひたすらうつむいているだけだった。「これまでの状況を伝へる術はない」ひどく誤解されそうで置き去りにされたとはとても言えないと思った。草薙駅近くでバスから降ろしてもらい、近くに住む友人の家まで歩き、友人夫妻に送られ、家に着いた時は夜も11時を回っていた。玄関は開いていて、出て来た夫に、友人夫妻が「ダメじゃん!奥さんを置いて来るなんて!」と言うと「いやいや、僕は 帰ろうって言ったのに、何でも降りたいって言ったんだよ」と...「「そう言ったって長野でしょ!いくらなんでもひどいわよ!」と友人の奥さんが言うと「そうかね〜ぇ、女房の希望通りにしただけなんだよな〜ぁ」「兎も角有難うございました。ほんとにご迷惑をお掛けして」私が礼を言って夫妻は帰って行った。信じ難いかも知れないが、鬼無里で喧嘩した訳でもなく、置き去りにされた原因は未だにはっきりしない。ただ物の事を否定する場合、何事にも大袈裟に振る舞う私に比べると、夫は静かに否定るタイプだった。好きも嫌いも強調的に言う私に「あまり好きじゃないと言う言い方もあるよ」といつも窘められていたから、あの日の「僕は行くからね」は夫の否定だったのか否か。この事件を知った親友たちは、バスで帰って来た私の行動に驚いたと今でも言う。また、この件で夫を責めたことがないことを知っていて「あなたの気持ちが理解できない」とも。農協のバスになんか乗らないで、着払いでタクシー代を夫に払わせれば良かったと言うのだ。「私なら離婚したかも」と本気で言う1人もいた。お悔みに来ていただいた夫の親友から「奥さん、善光寺事件、〇〇さんはその後、謝りました?」と聞かれ、「いいえ」と答えると「実は〇〇さんはとても気にしていましたよ、未だに責められないのが怖いって...」と言はれた。「置き去りにした理由はお聞きになりました?」と聞くと「いやね、かなりしつこく理由を聞いたんだけど、只々、家に帰りたかったって...」と言はれた。私はこの事件をジョーカーとしても使はなかった。あまりに情けない事件だっただけに。真意が他に有るかも知れないが、黄泉行きの切符は入手困難であるし、真実が曖昧なままに迷宮入りの事件だ。
       
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      パソコンのデスクの上にある若い頃の夫の写真、比較的温顔で意地悪には見えない

               ウナ電
           URGENT県黄泉郡黄泉町 43番地 夫殿  
            ゼンコウジノケンキキタキコトアリヘンマツ
                                 葦原の中つ国の妻
                            
     
     
    
   
     

posted by ふきのとう at 22:52| Comment(19) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

雨の日を処す

              こんなものが.....
    野良に人影もなく、雨音と自家水道のモーター音、暮らしの中の音はそれくらいのもの。
    時折鳴く鳩のくぐもる鳴き声は、独りで聞くにはもの悲しい。「そうだ引出しの整理でも」と
    思い立ち、夫の文机、自分の机の引き出しの整理をして、極力使はない物を始末しようと。
    使えない物は難なく処理できるのだが、例え使はないと解っていても綺麗に在るものは
    中々捨てられないが、思い切りも必要と思い、思い切ったつもりだが、未だまだ残る物も多い。
    夫の文箱の中から49年前の娘の「出生届」の封書を見つけた。

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    主治医の文字、夫の記入した文字のインクも色褪せずにくっきりと読める。
    面白いのは(結婚式をあげた時、または同居を始めた時のうち、早い方を書いてください)と
    あること、新生児の体重の単位が「瓦」で記されている事だ。
    「鉛筆や消えやすいインキで書かないで下さい」の注意書きもある。1通は提出したのだから
    手許に残してあるのはどうしてか、私には解らない。
    2人の子供の命名は、私の入院中に夫が決めて届出をしてしまうので、事後承諾するしかない。
    私の父も独断で私を命名し「呼びづらい」と言った母に「俺1人で呼ぶから良い」と言ったと言う其れ
    に似ている。娘の名前はあまり類をみないが、花巻でも静岡でも初めての知る人を「ええっ!」と
    言はせ、大阪時代は「うちの子が、おたくの赤ちゃんの名前、〇〇〇ちゃんやって言うんやけど、
    ほんまなの?」本当だと答えると「愛称やと思うたわ!ほんまやったんやね〜ぇ!」とよく言はれた。
    主治医は検診の際「横文字で書くととても良いね!これからは海外との交流も盛んになるし、第一
    この植物は内外を問はず誰にも好かれていますから」ササッと横文字でカルテに書いてくれて、
    娘の名前に困惑しいる私を良く励ましてくれた。昨日訪ねて来てくれた姪が「今なら驚かないけど
    50年も前のことだものね〜ぇ」と言った。肝心の娘は就職の際、教授が名前を憶えていてくれて
    (成績ではなく)推薦就職でき、名前に感謝したと言うのだった。「お父さんは、姉さんに甘かった
    もんね!」と言う弟に「そう!誰よりもお父さんに愛されていたのよ!」と豪語した。

        子が父に合はす連弾風ひかる     ふきのとう

    掲句は水原晴郎先生の特選を頂き<聴診器譲る子のでき蕨餅  晴郎>の短冊を頂戴したのだった。
    


posted by ふきのとう at 11:11| Comment(10) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

大型台風

                台風過
    我が家が此処に在ることが不思議と思えるほどの暴風雨に襲われて朝を迎えた。
    町に避難勧告もでて、姉や姪、知人たちも案じてくれて沢山の電話も頂いた。
    台風での今回のような恐怖を感じたことは初めてであった。
    
    昨夜はまんじりともせず明け方、風雨の弱くなった3時ころ眠ったのだったが6時過ぎの
    娘の電話で目が覚めた。雨戸を開けると眩いほどの光が差していて、台風の通過を知った。
    車で、7分ほどの所に住む姪から心配の電話があったが「ありがとう、お父さんのお仏壇を
    置いて行く訳にはいかないから」と言うと「おばさんの気持ちは解るけど...万が一の時は
    電話、頂戴ね!」と。本当に嬉しかった。
    起きてすぐに家の前の道路に出て見渡してみたが、大丈夫の様だ。

         家いへの甍耀よふ台風過      ふきのとう     

                 
               人それぞれの距離
   家族との距離、友人知人との距離、職業を持っているならば会社との距離、暮らしの中の距離等々
   遅い朝食を摂りながら、ふと思った。
   夫は距離感をどう保って来たか、今思うに、夫にとっての最短距離は「家」ではなかったかと。
   順位を付けるとすればその次が「会社」そして友人知人、地域の人々の順で有ったように思へる。
   親兄弟、親族は論外としての順位だ。職業従事者に於いて、最短距離に置くのは「会社」ではないか
   と考える向きが多いのであろうが、夫は違っていたように思う。「家庭有っての会社」と位置付け
   していたのではないか。口が酸っぱくなるほど「日常を大切に」と家族全員が叩き込まれていたから
   余計にそう感じるのかも知れない。単身赴任の時代も私宛に葉書が良く届き、特に高校生だった息子の
   事を気に掛ていた様子が窺える文面が多い。月曜日の早朝3人で見送るのだったが、玄関前の道路を
   通過する時、夫の鳴らすクラクションを合図に家族は家に入るのだった。毎朝3人での見送り、夕飯は
   連絡の無い限り「9時まで待つ」は、息子が高校生になるまで続いたのだったが、先日「冬の見送は
   堪えたたよね」と口々に言っていた。半ば職業を持たない母親の犠牲になった様にも思ったことだろう。
   2人の子供が自主的にした行為とは言い難く、言はば、それが最善と思い、させた行為なのだから。
   職業を持たない分、執拗に家事に拘り、子供に課した様々な事、今は反面教師として娘も、息子も
   緩く、甘い子育てをしているように思う。
   
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posted by ふきのとう at 12:19| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

陶房?...ほどでもありませんが

               夫在りし日
    昨日、どこで聞いたのか、夫の愛用していた電気轆轤を譲り受けたいと言って
    50代後半の男性が訪ねてきた。何十年も経ていることも伝えたが、「欲しい」と言う。
    いずれは片付けなくてはならない轆轤であるが、、少し動揺した。「大切にしますから」を
    信じて譲る事をきめ、軽トラクックに乗せた轆轤を見送ったのだった。
    轆轤や窯は、必要な人が現れない限り、どうにも処分は難しいことは解っている。
    私としてはせめて一周忌を済ませるまでは、との思いもあったが、必要としている方に上げるのだから
    と思っての決断だった。
    細々とした道具などは、電話で最初から「お譲りは出来ません」と言っておいたので、「見せて下さい」
    と言って見ていたが、欲しいとは言はれなかった。

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    夫の作品は町の文化祭などで良く見ていたと言い、一時、生涯学習の陶芸部門を
    町から依頼されたことがあり、数年間携わったことがあったが、その時、隣町から
    応募したのだが、断られたと言うのだった。

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    夫が芳しくないと思う壺の幾つかが庭のあちこちに置いてあるのだが、その一つ一つを丁寧に
    見ているので「それは没作品ですから」と私が言うと「この位の大きさのものが早く出来たら」と言う。
    「時間を掛ければ出来ますよ!我流も良いけど、最初は専門家に就いた方が良いかもしれませんね」と。

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    夫の作品の湯飲み茶わんでお茶をお出ししたら、湯飲み茶わんに丁寧に触れながら、ゆっくりお茶を
    飲んで帰って行った。「いつでも轆轤に会いに来て下さい」と言って住所を書いたメモも渡してくれた。
    久しぶりに秋の日の差す午後だった。

        ちちろ棲む夫在りし日の陶房に     ふきのとう
    
posted by ふきのとう at 09:58| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

御山洗

            今朝の富士山 10月18日
   週2回のゴミ出し、自転車で田圃道を行くのだが、行きは富士山に背を向けて
   帰りは田圃道の正面に富士山を観てペダルを踏む。2日続きの「御山洗」の後の富士山は見事だった。
   黒々と何時もの何倍もの大きさで、雄々しいのだった。
   晴れている日の早朝、富士山を見ることは夫の習慣になっていたから、今朝の富士山を見たら
   なんと言っただろう。「お母さん、早く早く!」早朝、外で呼ばれたら、これは富士山のこと。
   今朝の富士山もきっと「お母さん!早く早く!」と言ったに違いない。
  
               家の和室から
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   此処に家を建てた頃は大井川の堤防も見え、富士山の全容を見ることが出来たのだが
   その後工場や住宅が立ち並び、以前の様にすっきりとした富士山は望めないが、障子を開ければ
   富士山が見えるのは有り難い。

        金輪際御山洗の後の富士     ふきのとう
posted by ふきのとう at 07:37| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

仏壇の置き場所

           北向きは良くない?
   生前夫も私も仏壇の置き場所(向き)はあまり気に掛けてはおらず、届いた仏壇はCDコンポの続きに
   北向きで置いていた。気に掛けてはいないと言っても、北向きでない方が良いことぐらいは解っていたが
   暮らしを優先すれば、仏壇に叶う置き場所とは言えないこともありうるだろう。
   87歳になる姉は北向きに置いている仏壇を非常に気にしていて「他に置き場所がないの?」
   我が家にやって来るたびにそう言うのだった。「いいのいいの、未だ誰も入っている訳じゃないから」と  
   答えていたのだった。。図らずも夫が先になってしまったが、いざとなると姉同様に気になるのだった。
   そしてリビングの窓際に近い場所に東向きで納まった。

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   リビングは南向き、手前の椅子が私の指定席、その向かいの椅子に夫が坐り、単身赴任
   出張以外は別として、この家に暮らしてからの46年間を同じテーブルと椅子で暮らしてきた。
  
   雑多な場所と言へばそうであるけれど、食事する時も話しかけたり、お茶や、お3時もお相伴してもらえる。
   先日姉が来てくれて「〇〇さん、良いところに納まったね〜ぇ!」と言ったから「そう?食器棚も流し台も
   見え見えだわねっ!」と言ったら「大丈夫、仏様は賑やかな場所が大好きだって言うから」と言うのだった。。
   位牌の戒名が仕上がったと、届けてくれたご住職に「南向きにできるといいのでしょが.....?」と
   言うと「いいじゃないですか!本山の妙心寺に向かって、お手を合せることになりますから」と言ってくれた。
   要は東西南北、何れの場所であっても「心」が大切である、とい言うことであろう。
   仏壇が必要であるか無いか話し合った時も「残された者の依代、拠どころ」として必要であろうと、考えが
   合致して購入したのだった。仏壇が届いた、日自己中心の私は「ねえ!私が先にお仏壇に入ることなっても
   お3時、1人で食べないでどんなに小さななものでも半分づつにしてお仏壇に上げてね!」と言った。
   「はい、はい」いつも通り無難な返事が返ってきたのだった。
  
       生前の慈顔に目見え貴船菊      ふきのとう
   
   家の中で最も多く過ごす場所だから、今日の私の行動、訪問者など、一目解ることだろう。
posted by ふきのとう at 09:20| Comment(8) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

初めての外出

              渥美半島.伊良湖崎
   10人乗りのマイクロバスで、このところ外出が面倒になってしまった私を見かねて句友の他
   言葉は良くないが員数として、いつも参加してくれる親しい友人たちに誘われて伊良湖へ。
   4ヵ月ぶりの外出だった。この事を娘に知らせると「了解、父の話ばかりしてまわりに気を遣わせる
   事の無き様に、いってらっしゃい」と車中の私にショートメールが入った。
   「ご心配ありがとう、そうします」の返信。ポケっとしている事は確かなので、予め1人席を幹事さんに
   お願いしておいたので、ipodを耳に。 誂えたような好天に恵まれた。

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   このところ家の中をちょこまか歩くだけだったので足さばきも悪く、見晴らし台にやっとの思いで登った。
   海を見霽かして「私を置いていっちゃって、タカシノバカ〜ぁ!って言いたい心境だわ!」と言うと
   周りの皆が、「そうそう!言ったほうがいいよ!すっきりするから、ほらっ!早く言って!」本当に
   そう思ったし、言いたかったから「タカシノバカ〜ぁ」と海原に向かって叫んだ。
   「そうだ!そうだ!まったくだ!」異口同音にみんなの返事が返り、図らずも涙が溢れてしまった。

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   美味しいはずの海鮮、1/3しか食べることが出来なかった。
   「食べ物を残さない」の主義が崩れて悲しい。

       秋の港風の置きゆく雲ひとつ    ふきのとう

       大鷹は空の王者よいさご吹く    ふきのとう
   
   海岸には大きな望遠鏡を装着したカメラが並んでいて「鷹の渡り(鷹柱)」待つ人々で
   いっぱいだった。鷹の調査班もいて、詳しく説明をしてくれたのだが、何一つ記憶に残らない。

   娘の言う様に、延々と夫の事ばかり書いたので皆さん辟易されたことでしょう。
   また書くことになりましてもお気遣い無き様に、書くことで落ち着く鬱もありますので。

   

   
   
posted by ふきのとう at 20:59| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする