2017年10月10日

ダンサーの一撃に遭う!?

               夫のゆる〜い話
     学生時代、喫茶店のはしごをすることが良く有ったと言うから余程のコーヒー好きだったようだ。
     「面白い話を聞かせようか」と言った。内容は以下である。
     コーヒー皿に付いているスプーンを良く失敬したのだと言う。失敬と言えば聞こえは良いが
     明らかに窃盗だ。その数、裕に150本は有ったと言うから店主が訴ったへれば、窃盗罪も成立する
     程の数だ。確かに結婚当初、不揃いのスプーンが机の引き出しに何本も入っていたことがある。
     或る日、研究室の仲間と日劇でラインダンスを観たのだそうだ。と、その中のダンサーの1人に
     ハイヒールで蹴られ、よくよく見ると何時も行く喫茶店のウエイトレスだったと言うではないか。
     「ヘエ〜!、それって齧り付きで観てたってこと!」私が言うと「詳しいね!観たことあるの?」
     「T don’tknoミタコト、アリマシェ〜ン!」と言ったら「可愛くないね!」と言はれた。
     土俵の真ん前なら「砂被り」そんなことぐらい誰だって知ってますよ。

     喫茶「榛の木」へ20年、しかし「榛の木」閉店後は無類の日本茶党に変身、自らコーヒーを飲むことは
     なかった。元来甘党であったから、練り切りの和菓子は特にに好んで食べた。
     晩年は自作の容器に金平糖を入れて湯飲みと金平糖を持って、家のお気に入りの場所、冬は
     お日様を追って、夏は風の良く通るところを転々としていたのだった。

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     金平糖の補充は、気が付いた時に私がするのだったが「食べても食べても減らない金平糖」と
     言っていた日のことをを昨日のことの様に思い出す。

         食卓のボンボニエール小鳥来る      ふきのとう   

        「鳥渡る、小鳥くる」正確には群れ成してくる渡り鳥でなくてはならないが。
         

     
posted by ふきのとう at 13:18| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

「お父さん一色」

                 .....と言はれても
     先日「この家、お父さん一色だね」と娘が言った。そう、家の至る所に夫に因むものや写真が
     置かれているからだ。人には2度の死があり、1度目は命果つる時、そして2度目の死は
     思い出も含めて人に語られなくなった時だと言う。

     納骨の日の精進落しは、夫のよく行っていた店にお願いした。ここのオーナーは、この町初の
     喫茶店を開店、我が家から歩いてで7、8分くらいの距離、こんな田舎にと驚いたのだった。   
     後に天麩羅が売物の和風料理の店に代った。今日は思いがけなく夫との思い出話をしてくれた。
     昭和47年に喫茶店を開いた時から夫との付き合いであったこと、我が家はその前年に引っ越した。
     喫茶「榛の木」サイホンで淹れてくれるこの店が出来た時、夫は大そう喜んで会社の帰り
     休日の朝は家の掃除が終はる頃まで新聞持参で行くのだった。
     「キリマンしか飲まなくて、指定席もあってね、ところで旦那さん、出身はどこ?」この言葉に
     一同「やっぱりね!黙って目をつむって指定席に座ってたんだね、伯父さんらしい!」と言った。
     店主とは珈琲で20年 、天麩羅で25年の付き合いと言うのに....店主も敢えて夫に尋ねは
     しなかったのだったと。夫に同伴した時も、天麩羅の後に美味しい珈琲を淹れてくれた。
     帰りがけに、「これ旦那さんに淹れてやって下さい」と言って珈琲豆を持たせてくれた。

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     家に帰ると直ぐに、豆を挽いて、「ドリップで90℃の湯」言はれた通りに淹れて
     先づは夫に、そして皆でお相伴、「ああ、美味しい!」口々に言った。

        残る虫何を言ひても独り言     ふきのとう
   
     
      
     
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2017年10月08日

納骨式

                残された者ともの
      或る日「ねえ?僕が死んだら寂しい?」と唐突な質問をされたことがある。
      「世の中に配偶者を失って寂しくない人がるといる思う?」と答えた。
      こう言った返事しか出来ない自分を反省している「寂しい、寂しい!」と言へばよいものを。
      その後、夫との提案で小さな仏壇を買った。何年経つだろうか、かなり前のことだった。
      材質は胡桃の無垢で、扉や位牌などに象嵌を施してある、高さ35cm横27.5cm程の
      厨子型仏壇を選んだのだった。同じ材質の位牌には、1人用と2人用があり、「一緒でいいじゃない」
      と夫がいうので2人の戒名を書くことの出来る、少し大き目なものに決めた。大き目とは言っても
      小さな小さな仏壇だから大きさもそれなりのものだ。そして「寂しい?」の質問には意味があった。
      陶芸を趣味としていた夫はその時、分骨用の入れものを拵えていて、「位牌だけ拝んでもらっても
      意味が無いから分骨して、君が来る時一緒に持って来てよ」と言うのだった。
      「死んでからなら、菰にでもに巻いて捨ててくれても構わない、生きているうちに大切にしてよ」
      が口癖だったことは家族の誰もが周知のこと。夫が亡くなって指定の箱を開けると、4個の茶入れ
      ほどの大きさのものが出てきた。夫も私も好きな「白萩」の釉薬が施されていた。
      念のため、お世話になる寺の僧侶に尋ねると「粗末に扱わなければ大丈夫です」と言はれ、夫の
      希望に沿い、火葬場に分骨を願い出ると、収骨の際、それはそれは丁寧に遺骨の一部を、小さな
      壺に収めてくれたのだった。

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      納骨式を済ませ、自宅の仏壇に位牌と共に収めたが「よかったじゃない、これなら母さん
      寂しく無いじゃないの」娘も息子も、孫たちもそう言った。そう、これからの私を見守って
      くれるのではないかと思っている。

      金属性のものは納棺出来ない為、眼鏡、腕時計、愛用の万年筆、が他の遺品と共に残された。
      納骨の際「〇〇寺さん、(私は寺名の後に「さん」を付けて呼ぶ)主人は眼鏡を持って行けません
      でしたがあちらで大丈夫でしょうか?困ったりしないでしょうか?」私の問い掛けに、「大丈夫!
      六文銭もお持ちですから、視力に有った眼鏡をあちらで買えますから」これには参列してくれた
      兄嫁、姉、甥、姪たちも大笑いした。万年筆は息子が持って帰った。    


      黄泉のこと吾に伝え来よ秋さくら      ふきのとう
      
      
      










    。
posted by ふきのとう at 16:33| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

1971 静岡へ

              田舎暮らしの始まり
    戸建でない住まいは、新築とは言へ子供には不自由が沢山あった。
    階段で遊びたくても隣への配慮で遊べない、夫が娘のために作った砂場も余所の子に占領されてしまう。
    娘は幼いために巻き込まれることもなかったが、子供同士のトラブルなどetc...。
    そんな日常を知った夫が小さな家だが静岡に建てる決心をしたのだった。
    私の両親、殊に父親は婿養子であったから「男が嫁の実家近くに家を建てるだなんて」と猛反対
    母は母で親が娘を近くに「呼び寄せた」と思われることは真っ平だと賛成しなかったが、何と言っても
    富士山の見える田園地帯を夫が気に入り、父に懇願して地主に掛けあってもらい、実現したのだった。
    単身赴任を覚悟だったから、初めの数ヵ月は母子だけで暮らしたが、幸運の女神が訪れて、何と
    夫に静岡工場転勤の辞令が下りたのだった。  バス−電車−バスに乗り継いで、約1時間掛け
    ての通勤であったが、東京暮らしで慣れているので、他人様が思う程大変ではないと夫は言った。
    預かったツトムくんは1歳になろうとしていて、別れがとても辛かったが、引っ越しにはお父さんが
    有給休暇を取って手伝いに来てくれたのだった。

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     埋め立てと同時に、今は亡き次兄が挿し木しておいてくれたヒメマサキを生垣として植えた。 
     休日の夫は庭づくりに余念がなかった。そして私の学びの物理も「これ位で良いだろう」と言う
     ことになり、英語もbrokenEnglishではあるが夫の簡単な問いかけには返事が出来た。
     数年前にイギリス出身の婦人が主宰する茶話会風の英会話に誘われて参加していたが、
     カテーテルのアクシデント以来中断してしまった。 昭和48年には長男が生まれ家族は4人となる。
  
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     静岡に来てから63歳の定年までには、群馬、犬山、神奈川など単身赴任もあったが
     平成12年に娘が、14年に息子も結婚して家庭を持ち、私たちの2人の暮しがスタートした。
     
     夫との来し方を、駆け足で振り返りながらの1週間、冷蔵庫に貼って覚えた数学、物理
     反発したことも多々有ったが、今は有り難かったと心から思える。電車に乗れば相対速度
     稲妻が走れば、車中の安全性など直ぐ様思い出すし、新聞に掲載される高校受験問題も解い
     てみようと思えるのもあの日の夫のお蔭である。「国語は僕より強いから省こう」と言はれたが
     そんなことは無い、夫から私への恩情のほかならない 。

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     遺品の中から見つけた「えんぴつで奥の細道」は平泉を書き終へて途切れている。
     明日の納骨が済んだら引き継いで結びの地、大垣まで書くことにしよう。
     次頁の「南部道遙にみやりて岩手の里にとまる」に始まる尿前の関、唯なる偶然とは思えない。
     
      エッセイのようなものが書ければ、他人様にご覧いただく日記と言えましょうが
      あまりに内生的な日常を書いてしまいまして、お恥ずかしい限りですが、見守り
      ご覧いただいたことに感謝申し上げます。
                            ふきのとう

            納骨の手筈ととのふ仲の秋    ふきのとう

     *昭和48年に夫は運転免許証を取得する。東京時代に大きな自動車事故(人身事故)を目撃した
      という夫は、車には乗りたくないと言っていたのだが、通勤時のバスの中で眠ってしまい
      家からかなり離れたバス停まで、何回か乗り越してしまっのだった。
      意に反しての免許証取得の様だったが、以来、定年するまで自動車通勤をしたのだった。

     
posted by ふきのとう at 22:31| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

姑から夫へそして私へ

            二枚の座布団

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     1枚目の裂き織りの座布団は元々は夫の生家の炬燵布団であった。
     初めて目にした時、「変わった布ね〜ぇ!」と言う私に、姑が持って帰ったらどうかと言った。
     若かった私は丁寧にお断りした。変わってはいるが貰って帰るほど欲しい物ではないと内心で思った。
     それがどうだろう、姑が亡くなった後に、義兄から色々な物を整理するから「欲しい物」は有るか?
     と問われ「裂き織の炬燵布団」と答えた。一般にも昔のものが珍重されつつある時代、暮らしの
     手帖にも掲載され、雪国の女性たちが精魂込めて織り上げたものでることを知ったのだった。
     長いあいだ使用していないらしく、大そう埃を被っていたが洗ってみると綺麗になった。
     「あの時欲しい」と言っていたら姑も喜んだに違いないと後悔したのだった。  
     我が家でも炬燵布団としては使用せず、藍染めの布で縁取りして座布団に拵えた。

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   残りの布では私のベストを、夫のベストにと思ったがそれには少し丈が足りなかった。

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     2枚目の鶴の柄の座布団は結婚当時、夫が大切に持っていた敷布団、一方に姑の文字で
     「頭」と書いた三角の白い布が縫い付けてあったが、どんな意味を持つのか改めて聞いた記憶もない。
     嫁入り道具の布団を使用したために、使う事も無く長いこと押し入れに眠らせていたが、ある日
     思い切って裂き織の座布団同様、藍染めの布をあしらって5枚の座布団となった。
     夫は裂き織の座布団を大そう気に入ってくれて好んで坐っていた。

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     晩年夫は何をするでもなく、文机の前に座っていることが多かった。

        裂き織に母の温もり秋深む  ふきのとう


     
     
     
posted by ふきのとう at 11:29| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

永遠の故郷言葉

               夫と故郷を繋ぐ言葉
    5年間暮した大阪、そして夫の生ま故郷、私の生まれ故郷(今暮している)友人知人たちにも故郷がある。
    皆、故郷の言葉(国言葉)をどれほど大切に思っているだろうか。先づ私はどうであるか、
    沢山の国言葉の中で生まれ育ったはずでありながら、今では共通語を話すことの方が多い。
    ところが夫は違った。生家に於いて私以外の人と話す時、その殆どをふる里言葉で話すのだった。
    初めて夫の生家を訪ねた時のこと、花巻駅構内で、何十年ぶりに逢ったと言う知人との会話には
    共通語は一切なかった。私はこの時、生まれて初めて生の東北弁を聞いたのだった。
    只々、唖然としてタクシーを待っている時にこう言った。
    「言っておきたいことがあるんだけど、家に帰ったら共通語では喋らないからそのつもりでね」
    続けて「家のみんなが話しかけても通じないと思うから、兎も角にこにこしててよ、肝心なところは
    僕が伝えるからね」そして「どんな顔でも笑ってれば可愛いから(まま)」事実なのだから私は頷いた。
    夫の言うとおり難解な部分もあったが、それはそれとして、驚くこともなく家族の話に笑って頷いていた。
    途中、夫に(事実上は結婚前)呼ばれて振り向くと、手をこまねいている。席を立って夫言のうままに
    就いて行くと、庭の釣瓶井戸の端でこう言うのだ「ねえ、笑っててと言ったけど、にこにこし過ぎだよ
    馬鹿みたいに見えるから少し加減して」さすがの私もこれには、返事のしようもなかった。
    そして長兄には、「弟と結婚するんだからあなたも此の土地の言葉を覚えていただきたい」と言っていると
    夫から私に伝えられた。夫の父が亡くなり娘と3人で帰郷した時、父親の話し言葉に幼いながらも
    何かを感じ、私にしがみ付いて離れなかったが「お父さんはタカシなのにみんながタカスって
    いうんだもん!」と言って大泣きしたことがあったが、大きくなってからやはり父親に「花巻では
    にこにこしてなさいよ」と言はれたと言う。先日、夫の葬儀に参列してくれた甥の1人が
    「おじちゃんは偉かったよな、花巻では一切共通語を話さなかったもんね」しみじみ言った。
    やはりそう理解していてくれたのだと思うと胸が熱くなった。
    郷里以外では夫が東北出身だと感じる人は1人もいない程、訛も無く、共通語に徹していて
    大阪弁も静岡弁も聞いたことはない。ひたすら故里に畏敬の念を抱いていたに違いない。
    余談ではあるが、昭和40年時代の事であって、今の若い人たちはみな共通語で話している。
    何処の土地にも共通語に替え難い方言がある。当地にも「ひんずらしい」「ごせっぽい」
    「おひんぶる」「おんぞくたい」等々、共通語には代えられない、横綱級の方言だ。
    「言葉は国の手形」死語となってしまうようで寂しい。

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夫のアルバムから写しだしたのでぼやけてしまったが、この釣瓶井戸は
     俳句の題材として大変お世話になった。

         水汲むは雪女かも釣瓶井戸     ふきのとう
    
    
posted by ふきのとう at 07:23| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

大きな勘違い

              願えば叶う...(とは言うものの)
   目出度く電検合格、ここで慎重な夫に大きな勘違いと誤算が生じてしまう。
   電検で得た資格を会社に申請すると、特殊技能手当が月額5,000円付くと言うのだ。 
   昭和44年の5,000円は概算で現在の20,000円位であろうか。。
   「欲しいものをこの紙に記して手に入ったら1つづつ消していこう」と夫が言った。
   食卓の上に出された紙に書けと言うのだ。忘れもしないが私は「打ち出し鍋」と先づ書いた。
   すると夫は「おいおい5,000円だよ!希望がちいさいねぇ、指輪だって夢じゃないよ」と
   言いながら、確か夫はペンタックスのカメラ、新しい製図用具などと書いた。
   指輪など興味の無い私は台所用品の色々を書いた。そして夫の机の硝子盤の下に大切に挟んでおいた。
   待てど暮らせど希望の品物を買うことにはならなかった。奮闘努力の甲斐も無く手当は付かなかった。
   後に夫の大きな誤算であったことが判明した。何でも叶う夢と叶わない夢が現世にはあるようだ。
   とは言うものの、大金を得る出来事が起こった。社長の長男が結婚するに当たり「支度金」として
   40,000円が支給されることになったのだ。黒のダブルの背広、慶事用の白いネクタイとワイシャツ
   そして、礼装用の黒い靴、事細かに指定されていたが、靴だけ新調すれば後は整っていたので
   靴代金6,000円のみの出費で我が家は済んだ。夫は自分は何も要らないからと言って「鍋」を買てくれた。
   私を配偶者として選んだ誤算以外、最初で最後の夫の誤算だったのたった。

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        刻刻と迫る納骨返り花    ふきのとう

    祭壇のある座敷から眼を外に向けると、山法師の「帰り花」が咲いていた。
    花も小さく、盛りのそれとは違い侘びた佇まいを美しいと思った。
   
posted by ふきのとう at 15:26| Comment(2) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする