2017年12月28日

千羽鶴

                包みを開いて...
     昨日、とても気になっていた菩提寺へのご挨拶から帰宅すると、ポストに小包が届いていた。
     大きさの割には手応えは軽い「何かしら...?」と思って開いて絶句!
     嬉しさと有り難さに「絶句」することを初めて体験したのだった。そして、添えられた
     手紙を読んで、座り込んで暫く涙が止まらなかった。 

     「今年五月病院からの帰途「椿」へお立ち寄りくださった時の奥様の悄然としたお姿が
     忘れられませんでした。初来店でブログに「椿」を素敵に紹介して下さり、それだけで
     「椿」のオープンの意味があったと嬉しく感謝でした。素人のハンバーグを再三美味しいと
     召し上がって下さるご夫妻に、私に出来ることは...と思案した末「奇跡をおこせたら」との
     想いで指先も視力もおぼつかない儘、それでも心を込めて千羽鶴を折り始めました。
     完成間近の晩夏、黄泉へたたれたと知りました。無念の想いの中、お優しいご主人様を
     偲び、ご冥福を祈り乍ら折り終えました。ご仏前へお供え頂けましたら幸いです。」
                     喫茶  椿   〇〇
     と、美しい文字で綴られていた。

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     そう、この日夫は未だ車に乗れたのだった。診察が終わるといつも院内の茶房で
     簡単な食事を済ませて帰路に着くのだが、この日は「椿」で食事をして帰った。
     日頃はその殆どが和食好み、肉より魚派の夫が珍しく「椿」のハンバーグを
     美味しいと言うのだった。素人のハンバーグと言われるが、そうではない
     美味しさを表現するのは難しいが、その上品な味は、体に沁みるようで、体力の
     落ちた夫に精気を持たせてくれるように思えたし、満足そうに残さず食べる
     夫を見るのは、私に安堵感も生まれたのだった。茶房の庭の紅葉を楽しみにしていた
     夫も、その紅葉に会うこともなく黄泉にいってしまったのだった。
     「椿」での食事がが夫の最後の外食となった。


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         千羽鶴と共に「椿」の今年の紅葉の写真も添えられていた
   
           たまきはる千の折鶴冬銀河    ふきのとう
posted by ふきのとう at 21:06| Comment(8) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

町役場へ

                バスに乗って 
    約3,5Kの道程、歩けない訳では無いけれど、身も心も押し戻されそうな強風
    バスで行くことに決めた。このところ外出していないので久しぶりのバスだったが驚いた。

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    こんな田舎の路線バスにもハングル文字の掲示板が......。
    5分も歩けばバス停なのだが「〇〇さん、どこへ行くの?」ご近所の農業青年?が
    声を掛けてくれた。「ありがとう、足を使いたくて!またおねがいします!」   
    レタスの収穫の手を止めて声を掛けてくれた。とても嬉しくてウルウルしてしまう。
    先日も「〇〇さんが独りになったから、遊びに行ってやってって、〇〇さんから言われたもんで」
    と言って、少し離れた家のお嫁さん(?)が来てくれた。私より10歳若く、埼玉出身だと言う。
    〇〇さんとは、家の玄関前の畑の地主さんだった。ご近所に支えられての暮しも数え日となる。

    いつも室内からの富士山だが、今日は役場の帰り道、家の外から我が家も容れて

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    クリスマス用の出荷も終わり春を待つレタス畑のビニールハウス(家の前の畑)

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         今日富士の申し分なき雪の丈    ふきのとう

    子供の時から見慣れている富士山だが雪を被た富士山は格別、日常に富士山を見る
    機会を得なかった夫が此処に家を建てた心情が伝わる。

    

    
posted by ふきのとう at 14:13| Comment(8) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

冬暖か

               空っ風が吹いても

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      寝室の雨戸を繰ると、朝陽が差して眩い富士山が目に飛び込んで来た。
      空っ風が雲を寄せ付けないからであろうか、すっきりと美しい。
      外は昨夜の雨も上がり、空っ風が吹き、どこから来たのか、バケツが転がって来た。
     
      図らずも独りになってしまった年の瀬、何をしたかと言えば、台所の丁寧掃除ぐらいのもの。
      先日、買い置いた黒豆に気付き、煮はじめた。新豆よりも1年経ったものの方が、色よく
      煮上ることも長年の経験で得たこと。もうそんなことにも気を遣う必要も無くなった
      いう事か。「味見してあげようか?」などと言う言葉もない台所になってしまった。
      この「味見してあげようか」は孫が受け継いで、料理が仕上がる頃合に敏感で
      「どう、できた!味見しょうか!?」と言う。孫の中で感覚的にも夫に最も近く
      生前から夫と約束していたコートとマフラーを形見として持って行った。
      高校受験の模擬面接で、尊敬する人物に「白洲次郎」と答えて、担任教師を驚かせたそうな。
      私には「白洲次郎とじいじを尊敬している」と言うので、「ありがとう」と答えて
      おいたが、娘も子供たちに「親族、特に両親や祖父母は対象外である」と私が教えたように
      言ってあると言う。そう、祖父母、両親は(様々な出来事や好き嫌いがあっても)
      尊敬以外のなにものでもないのだから、対象から外すべきだと私は思う。

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      この後、残りの砂糖とかくし味の醤油を煮汁に足して煮詰め豆を戻して仕上げる。

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               待ち受けの画面に亡夫歳つまる    ふきのとう

 

      

      
posted by ふきのとう at 09:20| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

夫の遺してくれたもの

               私の小さな「歳時記」
  
     結婚して1ヵ月半で迎えることになったお正月、流し箱、裏ごし器、重箱や屠蘇飾りなど
     2人で買いに出かけた日の事を在りありと覚えている。そして今もその時購入した道具で
     調理している。何とか出来上がった「お節」を夫がカメラに。1967年12月28日スタート。
     もう少し他の料理も作ったはずだが、アルバムを探しても見つからないし、鏡餅の写真も無い。
     
     退職後は即席ラーメンも作れない(作らない)夫が、きんとん、錦玉子の裏ごしを自ら
     買って出てくれるのだった。
     兎も角、今日までのお節をアルバムからピックアップしてみたが上手く写らないものもが多い。

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     「お節料理」は、ここに家を建てた時から「専業主婦の仕事納」そう決めて従事してきた。 
     小さいながらも「家」も持てたからその後はきちんと鏡餅も供えた。そう、父が餅つき機を
     買ってくれた。

               我が家の鏡餅の変遷

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⇓ まあ!三宝の刳形が逆さまだわ!お父さん直してくれればよかったのに、...

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     丸い鏡餅の時代は長く続いたが、鏡開きのときの始末も大変なため一考して
     ここ数年は以下とする。四角だなんてと思われるかも知れないが、とても始末が良い。
     「四角四面に出来るだけきちんと」手前勝手な縁起もある。
     水引は折節の祝事に頂いた祝儀袋に付いていたものを仕舞っておいて利用している。

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           毎年似たり似たり寄ったりの「お節」の変遷

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         平成11年「卯年」に因みうずらの卵に金串を焼いて細工

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     元日、二日まではお重に少なくなったもの補充すればよいのだが 
     その後は目先を変えた盛り付けに、とは言っても然程変わるものではない。

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     「慈姑」の含め煮は大阪で覚えたもの、当地には慈姑を食べる習慣はなく
     店頭にはあまり出ないが、関西系のマーケットには年末に出る、しかし
     その高値には驚く。「芽(目)が出る!」とはこのことかも知れない。

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     昨年の伊達巻、結婚当初は既成の伊達巻を用意したが、ここに暮らしてからは
     自作、ここまで来ればコツも覚えて、多少は上達したようだ。

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     ともあれ、蒲鉾やなま麩以外は全て私の手作りだから、家族には安全なものばかりだ。
     「作っても家族が食べないから」と友人たちは口をそろえて言うが、我が家は
     私のマインド,コントロールの許によく食べてくれたことに感謝している。
     何より「お母さんの仕事ぶり、残してやるよ」と、50年間カメラに収めてくれた夫に
     感謝する。食べるこが大好きだったから、この他にもお弁当や、四季折々の料理なども
     写真に残してくれている。先日1冊にまとめて見たら「私の歳時記」になった。

     私の料理の原点は夫の姪の言葉に由るものである。私が初めて姪に会ったのは昭和40年
     「おばちゃん、叔父ちゃんと結婚するとお料理が大変だね、おばあちゃんお料理がとても
     上手だから」と言ったのだった。記憶が正しければ姪は高校1年生であった。
     これは大変、頑張らなくてはと思った。
     「〇〇ちゃん、あの日のこと、覚えていてくれるかしら?」感謝しています。

          年の瀬の路地に干しある換気扇    ふきのとう


     

     

     
  
posted by ふきのとう at 09:39| Comment(12) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月20日

パートタイム労働

                  5年間のお掃除オバサン
     以前、専業主婦であったとブログに書いたが、大切な5年間のことがとんでしまっていた。
     55歳から60歳まで、at8a.m〜at12p.mまでの時間を週2回、という契約で働いたことが
     有った。
     職種は3階建ての独身寮の清掃であった。各階の廊下、洗面所、トイレ、1階のフロアー
     キッチンと風呂場の清掃である。昨日のブログの友人のご主人の勤務する会社で、清掃員を
     募集していると聞いて応募した。当時句会が月2回ほどあり、すこしの習い事もしていたから
     その間をやり繰りしてのことだった。さて、この就職にもいきさつがあった。勿論夫の承諾も
     得てのこと「お掃除オバサン結構じゃないの、ただし家事には支障をきたさないで」とは
     言われた。娘は「会社のビルのお掃除のオバサンには感謝しているけど、いつもモメているの
     あなたはずるいのなんのってね、お母さん1人でするんでしょ、1人は好いと思う、自分流に
     頑張れるから、でもお夕飯、手抜きだけはしないで!」と。
     息子は神奈川に就職していたし家庭に問題はなかったが、雇い主の会社と夫の間に問題が
     発生した。以前、地域の子供会の役員会で夫とも面識があり、しかも息子の同級生の父親の
     1人会社の取締役をしていて、夫に会いたいと夜訪ねて来た。
     そして「奥さんがうちの会社のお掃除をしてくれるという事ですが、旦那さんはそを承知して
     くれているでしょうか?」
     「ええ、承知していますよ」
     「いやいや、それならいいんですけど、仕事がお掃除なもんで...。」
     「それがどうしました!?お掃除、結構じゃないですか、女房の天職みたいなもんですよ!」
     「......」
     「そんなつまらないことでわざわざお出でになって、そりやぁ大変だ!」
     そのやり取りの一部始終を台所で聞いていた私は「ああ、あ、まずいことになっちうな」と 
     思った。 案の定、常務が帰った後
     「常務だか何だか知らないけど、いったいどうなんてんの?暇な常務もいたもんだね〜ェ
     やめときな、つまんない会社!」と夫は言った。
      
     夫の言った通り、55歳の私に出来ることはお掃除ぐらいのもの、就職祝いだと言って姉が
     長靴を買ってくれて、「マスクもしていきなさいよ、それからゴム手袋もね、家じゃないから
     素手でしちゃだめね、解った?」掃除の殆んどを素手でしている私を知って世話もやいて
     くれた。週2回、午前中、時に午後まで時間が延びても結構楽しく、1人で頑張れた。
     「オバサン、布団干していったら取りこんでくれる?」
     「いいわよ!貴重品は部屋におかないでね!」
     「オバサン、釦付け頼めるかなぁ〜」
     「針と糸あるの?」
     「ない!」
     「預かってもよかったら家で付けてきましょうか?」
     その後、メモ用紙に「ファスナーお願いします」「ズボンのすそ上げ頼みます」などと
     様々な「お願いメモ」付の用事も沢山あったが、老朽化に依り独身寮が解体され、別の場所に
     移転することとなり5年間のお掃除オバサンも廃業と相成った。
     私の退職祝だと言って寮生一同から「ぬれ甘納豆」とオルゴール付の「寄木細工」の宝石箱の
     プレゼントがあった。

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         秋微雨寄木細工の秘密箱    ふきのとう  (15年前の句)

     頑張りを認めてくれて、途中昇給もあり、私にとっての臨時収入は嬉しかった。
     本社の清掃員にと言われたが、フルタイムであるし先輩清掃員との折り合いの事を
     考えると自分には不向きと判断して止めた。
     

         
     
posted by ふきのとう at 22:53| Comment(2) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月19日

女の一生

               2人の友
     外出もせず、まるで蟄居的な暮らしだからそろそろブログの種も尽く。
     友人と親友を皆さんはどのように区分しているのだろうか。こちらは親友と感じていても
     あちらは友人の中の1人と感じている場合もあり、逆もまたある。今日はいずれかに区分の
     難しい2人の友に触れてみよう。その1人、、私より1歳年上でご主人を20年前に亡く
     されている。同じ職場の上司と大恋愛の後、21歳で家族の猛反対を押し切っての結婚
     だったという。可愛がってくれた祖父からは「ドブに捨てるようなものだ」と言われたそうだ。      諸因の1つはその上司にはこれもまた、大恋愛の果てに結ばれた奥さんがいたことだ。
     この2人の纏め役で仲人を務めたのは、私の親友(?)の父親であるのも因縁めいている。
     この結婚にまつわる様々な噂話は多々耳にはしたが、私は当時この2人に面識もなく、20歳の
     私には興味の無い話だった。通勤路に彼女の家は有ったから、通勤途中に、時々見かけても
     「綺麗な人」という印象以外何もない。その後私も結婚し、大阪へ。
     5年後に此処に家を建て、買い物帰りに彼女の家の横の道を歩いていると、彼女から声を掛け
     られた。
     「や〜ぁ、時々見かけるけど、どこに住んでるの?」
     「あら、こんにちは〇〇さんの(町議)お宅の裏です」
     「そ〜う、急いでるの?」 
     「お豆腐やはんぺんやお魚の切り身も買っちゃったから...」
     「よかっら、よってって、家にも小さい子がいるから、生もの、うちの冷蔵庫に入れておけば
     いいじゃん!」
     居間に入ると色白の女の子が遊んでいて(お兄ちゃんは保育園に通っていた)娘より1歳下で
     あった。周りに子供のいない環境だったから娘も大喜びだった。私の実家と数百mの距離に
     あったから父や母のこともよく知っていて、常着が着物だった母のことを「お宅のお母さんよく
     見かけるどいつも着物を綺麗に着ていて素敵だね」などと褒めてくれたのだった。
     あっという間に時間は過ぎて、夫が出張中であることを知ると「お夕飯食べていかない?」と
     言うのだった。口を利くのは今日が初めてであるし、いくらなんでもそういう訳にはゆかない。
    「ありがとう、折角だけど改めてまたお邪魔するから」     
    「そんなぁ、遠慮しないで!、子供もよく遊んでいるし、ねっ!いいじゃん、いいじゃん!
     一緒に食べて!」
    「ええっ〜、何だか図々しいわ!初めてのお宅で...」
    ご主人も帰っていない家で、私達が先に夕ご飯をたべるだなんてとんでもないことと、随分迷った
    挙句、ご馳走になった。鯵の干物、さつま揚げと人参の煮物、白菜の漬物、味噌汁は豆腐と若布
    吸口のきぬさやの緑が鮮やかだった。
    テレビで「浅間山荘事件」をリアルタイムで中継していた寒い寒いの出来事だった。
    後に解る話だが、この頃彼女の夫には女性がいて、家を空けることが続いていたようだ。
    その後、多くの女性問題が発生したようであったが、彼女の口から一切語ることはしなかった。
    話半分としても、女性問題は事実であったようで、68歳という若さでこの世差を去ったが
    「常務取締役」として社長の片腕としてのポジションを極めたようだから、現在の彼女は
    「裕福な未亡人」を地でいっている。
    はてさて、「英雄色を好む」とは言うものの「色もまた英雄好む」のであろう。

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       先日のセーター「自撮り」とやらをしてみた

        金太郎飴の罅割れ寒に入る     ふきのとう
    

    
posted by ふきのとう at 10:43| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

やっぱり父子 父似

                やっぱり父と娘
     昨日、娘が話してくれた様々な話、私の関知しない、父から娘に伝えられたことは
     初めて聞くことばかりだっった。。
     「家には財産は無いから形として与えるものは何もない、学力だけは身に付くように努力を
     しなさいよ、その為ならお父さんも出来る限りの応援をするから」と小学校の頃から言われて
     いたと言う。そして「教えることが好きだったわね、にもかかわらずのほほんとしてて、
     お父さんには申し訳なかったわ」と。「ほんと、教えることは好きだったわね、私も
     つくづくそう思うわ」私が言うと「ああ見えて、話すことは結構ストレートだったわよね」とも。
     以前、息子も「母さんはがみがみ言う割にはお父さんよりストレートじゃ無いよね」と言った。
     これは意外だ!「君には中間色が無いんだよね」とよく言われていたから......。
     「今頃になって気付いたんだけと、お父さん、一病(間質性肺炎)持っていたでしょ、
     独り暮しは心細いし、やっぱり私が後になって正解だったと思えるようになったわ、ほんの
     少しだけど」と言うと「それはそうよ!」と。「病気さえ持っていなかったら独り暮しに慣れれば
     意外と上手に暮らせたと思うわ」と、言うと間髪を入れず「それは困る!私だって〇〇(弟)
     だってお父さんの面倒は見られないもの」意外や意外「ええっ!どうして!?」と聞くと
     「だってお父さん、いろいろなことに難しかったもの」と言う。父を見る娘の心と、私の
     夫に対する心のあり様に温度差のあることに気付かされたのだった。そして「私には将来の
     ことや、人としあるべきことをことあるごと言っていたのに、孫にはそんなこと一切い言わな
     かったわね」と言った。「それはね、孫は親が責任を持てばいいのだから、口出ししないで
     いいって、いつも言われたてのよ」と私は答えた。よくしたもので話し方は父親によく似て
     いると思った。

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     小雨交じりの冷たい風の吹く午後、頂いた銀杏を剥いた。

       話相手をらず銀杏ひた剥けり   ふきのとう

     
     
posted by ふきのとう at 21:51| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする