2017年09月30日

アルバム

                分厚いアルバム
     オジサンの希望を受け入れて、私は退寮し、家から通勤することになった。
     古巣の理髪室は友人に譲って、職場を国鉄管理局の理髪室に移してのことだった。
     「母親から沢山学ぶことが有るだろうから」退寮して家から通勤出来ないかと言う
     オジサンの希望優先するという、実に素直なところもあったのだ。
     静岡駅の駅長がボーイスカウト連盟の理事であったことと、親しくさせて頂いていることから
     スムーズな再出発となった。今までと同じ土日、祭日休みは勿論のこと、交通費も支給された。

     或る日、オジサンから1冊の分厚いアルバムが家宛に届いた。父母宛の手紙と共に。

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     父母宛の手紙には一通りの自己紹介と、これまでの私との経緯が簡単に書かれていて私の家族に
     賛同の得られる結婚でありたいので、万一意見の相違、或いは私に良縁が生じた場合は
     気兼ねなく良縁を選んでいただきたい事、私との結婚がどうでも良いと言うのではなく
     私が幸福に近づく道であれば、敢えてそれを遮りたくはないこと、たとえそういう場合になったとしても
     婚約までの間、今までどおり、友達として交際させていただきたいと言う内容だった。
     そして岩手の生家が改築中であり、招待できない現状であること、それにはこのアルバムを見て
     頂ければ断片的ではあるが、自分を理解して頂けるのではないかとも記してあった。。
     なるほど、オジサンが生まれてから28歳になるまでが大まかではあるが両親にも
     私にも理解できるものであった。
     私にもアルバムはあるが、オジサンのアルバムの比ではなく貧弱なものだった。
     後に私が子供たちのアルバムを丁寧に拵えたのは、この時の衝撃が切っ掛けだった。
     そんな子供たちのアルバムも、今は果たして...DVDの進出でコンパクトになったようだ。

     


     

   
posted by ふきのとう at 10:29| Comment(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

続 生い立ち

               21歳は幼稚である  その2
    喫茶店から出て平井君を追いかけようとしたが、既に平井君の姿は見えない。
    後ろにはオジサンの気配もある「すみません、立ち話で良いですから僕の話を少し聞いてください」
    「嗚呼!オジサン、いったい、何が言いたいの」と思いつつ、にっこり笑って「はい、何でしょう?」
    本意ではないが兎も角笑顔で、身についてしまった接客態度で振り返る。
    オジサンの話を私なりに纏めると、今日、理髪室でトランスを直していた時、耳にした工場長との
    受け答えが若い女の子にしては見事で、論理的にとても正しく、その場で拍手をしたいと思った
    と言うのである。そして「もう少し落ち着いて話がしてみたいと思いまして」と言うのだ。
    今日の出来事は1回2回までは許せたが、3度目となると許せなかったこと、上司のいう事なら  
    否応なく通ると思っている精神が気に入らなかったことを告げ「でも頂いたメモに今日は振り回さ
    れました。それにしてもメモに書いてあった、「デート申込」はやり過ぎではないでしょか?」と
    思いつく儘に答えて「寮に帰ってしなくてはならない事がありますので失礼します」と言って別れた。
    
    今振り返るに、私の21歳は非常に幼稚で、良く言えば屈託は無いが思慮もない。
    それまでに比べると3度の食事は社員食堂、土日、祭日、ゴールデンウィーク
    その上、盆と正月の連休もあり、安定した給料もありで存分にスカウト活動も出来た。
    休暇を願いを出て通過し、朝霧ジャンボリーに1週間参加した折には美智子妃殿下が眼前に。
    「なにをお作りになるの?」ビロードのような声で尋ねられた。
    「はい、トマト入りのハムエッグです」と答えると「きっと美味しく出来るはね」と。
    そして私たちの団に歓声が上がった。勿論妃殿下が次の団に移動していった後のこと。
    新天地での7カ月、女子寮での暮らしは快適そのものであった。
      
    しかしその一方で、「部長お断り」の1件は、尾ひれまで付いて社内の事件に発展したらしい。
    簡単には後継者も見つからず、打ち首寸前で継続の運びとなった。
    そんな或る日、理髪室のカウンターに私宛の封書が置いてあった。見覚えのある文字
    そう、あのオジサンから「本社からの長期出張が終はり、東京へ戻りますが、時々
    手紙を書かせて頂いてもいいでしょうか」と記してあった。

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     携帯電話は勿論のこと固定電話のある家も少ない時代において
     疎通手段は郵便の他無かったから、東京−静岡、次の転勤先の大阪-静岡と
     3年間の間にオジサンから届いた書簡は今も私の手元に残されてある。

     セピア色の往復書簡夜半の秋     ふきのとう




      
posted by ふきのとう at 09:15| Comment(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

生い立ち

               これまでの私  (1) 大まかに21歳まで
       パソコンを手にしてから書く(?)ことが億劫でなくなった。
       昨日、ブログを記していて、その時だけは雑念が脳を離れることに気付いた。
       外出をする気持ちは湧かないので自分史めいたものを書こうと思う。
       
       1942年に生まれ、中学2年生の夏までは自身で感ずるような苦労もなしで育った。
       姉3人、兄2人6人兄弟の末っ子だった。1番上の姉とは17歳、すぐ上の兄とは9歳違い。
       自分勝手に1人っ子だと思っていたらの話であった。

       中学2年生の夏、親戚の繊維会社が倒産し、その負債は我が家に及び私の進路は
       想像を絶することとなる。
       中学校での選択科目は英数科、進学クラス(一応)に席を置き成績に見合った高校に
       進学すればよいと、のほほんと構えていたのだったが両親から涙の選択を迫られた。
       家財は勿論のこと臼 自転車、農機具まで差押えの紙を貼られて家は空っぽになった。
       
       手先の仕事は幼い時から好きで、人形の服や着物、自分の簡単服は中学生になると縫っていた。
       進学出来ないのであれば洋裁学校に行きたいと言う私に「教材が買えそうもない」と母が渋った。
       そして、父が探して来たものに県立の理容美容学校があった。入試があると言うので
       楽しみにしていたのだが、国語、数学、理科、社会、あまりの易問に驚いた記憶がある。
       元々「美」に対するセンスのない事は承知していたから理容科を選択、その後、見習いを経て
       資格を取得し、開店したばかりの店に就職。店主は独身で弟は定時制高校に通いながら
       電気関係の工場に通っていた。夜は6畳ひと間をカーテンで仕切っての生活だった。
       今では信じられない事実だ。「女の子を預かっているのだから」と後に6畳4畳に台所付の
       アパートに移り、同じアパートの住人からは仲の良い三人兄妹と思い込まれて過ごした。
       私の17歳の時である。理美容学校入学と並行して、ある高校の通信教育を始めた私は
       小学校時代から入団していたガールスカウトの団長からリーダーの資格を取得することを
       勧められていたこともあり、土日休日の仕事に就きたいと思っていたが、サービス業に土日
       休日は不可能であり、ジレンマを抱えての毎日だった。或る日、東海4県の、理容美容
       コンクールに店主の勧めで出場し、図らずも第2位のトロフィーを手にして
       「このまま進むしかないか」と思った時に第2の転機は訪れた。20歳であった。

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       店主指名の客の中の1人が自分の勤めている会社の福利厚生で「理髪室」が出来
       従事者を探しているが、君にその気はないかと言うのである。
       土日休日、8時間労働、跳び付きたい話だった。しかし今の店をやめるには店主に奥さんを
       探さねばと思い、手当たり次第に理容学校の同級生に電話をして、店主に念願のお嫁さんが来た。
       円満退職し、新天地へ、この時私は21歳になっていた。
       必要器具の一切を自前で独立としての入社、或いは社員としての入社の選択では
       いつ退社してもややこしくない様に独立を選択し(給料も納得だった)土日休日の 
       昼休み有りの8時間労働、1日7人の客を仕上げれば良いのだから夢のようであった。
       ガールスカウト活動も順調に滑り出し、新天地での日々はバラ色だった。
       この時、国鉄の官舎に居住する家族の子女だけのG、スカウト静岡第5団のブラウニー
       クラスの子供達18名のリーダーをしていた。制服はグレイの綿ギャバジンの上下が支給された。
       この時からベレー帽が好きで今でも良く被る。
       
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       男性のアイロンパーマが流行始めて、鏝は持っていたがトランスまでは持っていなかったので
       会社で用意してくれたのだが中古品であったため、よく故障した。まるで仕事にならない程。
       或る日、総務課からの伝言で「今日、本社から電気科の人が来るので直してくれるそうです」と。
       背中に人の気配を感じたが、来客があり夢中で話していたため、その姿は確認できなかったが
       確かに「トランス見させてください」と声は聞こえた。
       その時の来客は本社付の部長と静岡工場の工場長であった。 以下のやり取り有り。
  工場長  「〇〇さん、〇時〇分の「こだま」に間に合うように部長のシャンプーと整髪をお願いします」
  私     「恐れ入ります。生憎本日はその時間は取れないのですけれど」
 工場長    「最後の予約の人を明日に回せばいいじゃないの?」
  私     「お言葉ですがこの様な事、前回も前々回もありましたよね、ここは社員の厚生施設ですから
       部長さんはお給料も沢山お貰いと思いますから、是非余所の理髪室でなさって下さいませんか」
       と答えると次の番の人を呼び出したのだった。鬼のような形相で工場長と部長は帰って行った。
       農家に生まれ育った私は、会社の上下関係、役職にはとんと無関心だった。
       そしてその日の夕方、私は工場長室で約40分もの説教をいただいた。
       当時の散髪料金は200円、福利厚生施設ならではの料金であった。
       自分の今日の態度は少しも悪くない、そして今でもあの時の自分を間違っているとも思わない。
       夕食後、私の部屋のドアがノックされて、私を妹のように可愛がってくれている隣室の平井君から
       「〇〇ちゃん、さっき本社の人から頼まれた手紙」と言ってノートの切れ端が渡された。

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      「...何?これ!こんな人見た事もなければ聞いたこともないわ!」
      「オレ、彼女が残業だから、時間が空いているから、行って見ない?指定の場所に付き合ってや
      るよ」
      「危険じゃないよね、平井君がいれば」そして指定された場所の書店に先回りして待った。
      「来た来た、あの人だよ!」背ばかりが高く、痩せ型のオジサンだった。
      オジサンは平井君に「やあ、どうも有難う」と一礼をして「〇〇です」と私にも一礼した。
      喫茶店に移動し「初めまして」と言う私に「いやいや、初めてじゃないですよ!トランスの調子
      はどう?」と聞かれた。ああ、そうそう、トランスを治したのは彼だったのだと気付いたが
      「未だ使ってみませんので解りません」と答えた。すると「僕は強電は解るけれど弱電はどうも
      苦手なので...」と意味のの分からない返事が返ってきた。
      気を利かせたのか平井君が中座すると「これから映画を観ませんか」と言はれたが
      「その映画は観ましたので」と断って平井君の後を追ったのだった。
     
      此処ま約90分、書くことに没頭できました。思いつく儘の私語と思って下さいまし。
      20歳の面影、現在は皆無であり、危険性はないと思い、思い出として載せました。
      コメントなどお気遣いなさらぬように。引き続きまた書きます。

        若き日の吾に八重歯あり衣被    ふきのとう

       
       

       

       

       
       
       
posted by ふきのとう at 15:13| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月28日

立ち直れないままに

             御心配をお掛けいたしました。

     この度は皆さまの暖かなお言葉、大変うれしく受け止めました。有難うございます。
     夫が黄泉に発ちまして一カ月余り、折れる心を何とかしなくてはと思いパソコンを開きました。
     無我夢中で今日までの4カ月を過ごしましたが、日に何度も心が折れますし躁鬱も交互に訪れます。
     こんな時に趣味の俳句が役立つものと思ってはいたものの、夫の死は父母や兄弟の死とは
     全く別のものでることを体験しました。当たり前と言はれれば二言はありませんが.....。
     
     夫らしく「死」はとても静かなものでした。夫の希望に沿い親族だけの葬儀を簡素に致しました。
     息子、娘、私宛の短文の遺言と言うよりは、手紙がありました。
    
     〇〇へ(むすこ)
     貸金(家を建てるための軍資金)は母に少しづづで良いから返すこと、その義務感が
     君を育てることになります。子供達は君の背中を見ています。君の品格を維持することを望む。

     〇〇へ(娘)
     子供を立派に育てるのは母の責任です。よく古典を読ませ、物事の対局を理解する能力を育てること。
     
     〇〇へ(私)
     君を知ってから長い間ありがとう。〇〇の存在は私の存在で有ったことに心より感謝いたします。
     万感を込めてありがとうございました。

     息子が家を建てる時に用立てたお金のことは私は初めて知りました。
     娘への一文にある古典は「方丈記」であることに3人共に合点のゆくものでした。
     そして私への「万感」これは理解に今も苦しんでいます。
  
     この様な内生的な事はブログに書くべきではないことを承知の上で書ました。
     
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     納骨は来月になりますので、遺影に向け、夫の作った壺に庭の秋草を沢山投げ入れました。

     黄泉宛に文書く夜の虫しぐれ      ふきのとう
     



     
posted by ふきのとう at 18:24| Comment(10) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月25日

母に代って

ブログゲストの皆様
父が23日黄泉に発ちました。
とても静かに父らしい旅立ちでした。
ブログにお出で下さる皆様にとても助けられたと母は申しております。
そのうち母が皆様の許にお邪魔させて頂くものと思います。
その時が来るまで、ブログがお休みとなりますが、再開の運びとなりました折には
どうぞよろしくお願い申し上げます。
なお母は、思いのほか気丈に父を送る段取りを致しておりますのでご心配なく。

ふきのとうの娘
posted by ふきのとう at 18:16| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

身勝手な言い分

                  我儘を承知で
     ケアマネージャー、訪問看護士、入浴車にはスタッフ3人、そして往診医と
     毎日ではないが週4日はそのうちの誰かの訪問がある。
     友人知人とは違い、夫関係の人の出入りが私を疲れさせる。
     夫が安心できて心良い日は私が疲れると言う不思議な日々が続いて約3か月
     昨日は誰も来訪予定が無い日だったので掃除もせずのんびりと過ごした。
     昨夜何回か起こされて、それ以来眠れず、睡眠時間は3時間しか取れなかった。
     昼寝の習慣が無いので昼は眠れず夜は早めに寝ることとした。
     
     そうそう、ブログに他人様に迷惑するようなことは書いた覚えはないのだが
     以前、俳句をしている事を伏せていた句友のことが、私のブログにから
     知れてしまったことがあった。それを責められた訳ではないけれど.....。
     若し、そのような事を知ったとしても私なら黙っているのだが。
     話好きと、徒口の違いも甚だしく、苦い水を飲んだのだった。
     お節介も大切だが、親切心も時に双方に害をもたらす故に、極力私も慎もうと思った。  

     庭のアカシデの木の下の「忍」、掌ぐらいの大きさだったがいつの間にか...

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     誰も来ぬ日のやすらぎや吊忍        ふきのとう

     世の中に人の来るこそ嬉しけれとは言ふもののお前ではなし   蜀山人
     世の中に人の来るこそ五月蠅けれとは言ふもものお前ではなし   百
     蜀山人の諧謔歌をもじった百閧フ諧謔、双方並べて読するととても面白い。

     人が来ることを煩いと解釈されそうな私の一句、どなたかに読まれて
     物議を醸しだすのも御免だから上記を付け加えて見た。  
    
posted by ふきのとう at 09:19| Comment(11) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

何か摂らねば

               お好み焼き
       優先順位が夫の日常、時に食事をとりわすれたり、夫の食べ残しの始末で
       済ませる日々が続き、これは良くないと思い、野菜も肉?同時に摂れる
       お好み焼きを思い付き、この暑いのに自分の為に久しぶりのお好み焼きを。
       50年も前の大阪時代が脳裏を過る、ご縁のあった「皆さんお元気かしら」と。

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       山芋の代用にはお豆腐を、代用食めいてはいるが、キャベツ、もやし
       烏賊、ベーコン、海老など残り物の整理も出来て「ほっ!」です。

       炎昼の油ころがすフライパン      ふきのとう
posted by ふきのとう at 09:10| Comment(8) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする