2017年11月13日

家の周りの今

                 レタス畑
      回覧板を届けるお宅のレタス苗、育苗ポットに行儀よく芽生えた。
      仕事がとても丁寧な農家、1年分のお米もこの家から頂いている。

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       自分の影が映ってしまった。昨日の午後は曇り空で寒かったが
       今日は風もなく暖かい、レタスの生育には好天は欠かせない。
       クリスマスには出荷できると言う。初採りを毎年頂くのは有り難い。

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           雀集ふ瑞穂の国の穭田に   ふきのとう

       米作主体の日本では半ば害鳥の雀も、ドイツでは人になつき、可愛がられると言う。




       
       


      

      
posted by ふきのとう at 12:44| Comment(12) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

はるばる大阪から

               久し振りのツトム君
      前回、御前崎に台風が上陸した時、ツトム君の父親から見舞いの電話があり
      その時、夫の死を知らせると大そう驚いて......今日、父親、ツトム君、弟の
      3人で夫の墓前にお参りしてくれた。
      3人共に、縁起のある数珠を携えて、仏前に般若心経を唱えてくれて有り難かった。
      「日向ぼっこしながら食べて」と豊橋で買ったと言うお煎餅をツトム君が私に呉れた。
      身長も184cm有ると言う。あんなにちいちゃかった赤ちゃんが......。
      子供の頃は清水に帰省する度に顔を見せてくれて、時には泊ってくれたりもしたが
      社会人になってからはそうもいかず、2年ぶりの再会だった。
      幼稚園教諭、後に園長を務め、退職して、間もなく他界されたツトム君の母親
      今年で10年経つと言われた。光陰は矢よりも速やかだ。
      「おじちゃんの焼物もっと欲しかったな〜ぁ」と言い残して帰られた。

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      七十二候の「つばき始めて咲く」の椿は山茶花を指すらしいが上記の
      椿は葉も花も椿である。

           紅つばき尼のつむりのあをあをと    ふきのとう
      
posted by ふきのとう at 16:51| Comment(6) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月09日

御本手

               二つの御本手
       秋も本番、例年なら食器など入れ替えも疾うに済んでいるのだが
       沢山の時間がありながら、うつらうつらと日々を過ごしていて夏のままだ。
       今朝、夫にお茶を淹れていて、この「季節に相応しい湯飲み茶碗」を
       と、はたと気づいたのだった。
       私的には御本手は春に相応しいと思っているが、先日ブログのお客様
       octpusさんに問われた「御本手」、上手く説明も付かずだったから
       実物を載せようと思い、出してみた。上手く伝わると良いのだか。

       @刑務所の職業訓練の作品

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       A夫の作品

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       茶碗の地肌にほんのりと赤味をおびた文様がご覧いただけるだろうか。
       これが「御本手」だ。 風合いが優しいので私の場合は主に「春」に使用している。
      
       @の湯飲みはデパートで刑務作業作品のチャリティがあり、購入した。
       その出来具合をじっくり見ていた夫が「厚みも単一で、端反りもなかなかの物だょ!
       ここまでに仕上げるに刑期もきっと長いだろうね!」さすが、見所が違う!と思った。
       その時お互いに「殺人罪」ではないかと思っていたことが後で解り、話題となった。
       しかし良く出来ていると夫は言うのだった。刑務所での作り手にさえらなければ
       良いのだからチャリティには協力しようと話は纏まった。
       高台が「切高台」になっているから〇口県の刑務所かも知れない。勿論切高台は
       他の地方の陶作品にも、デザインの一つとして使われてもいる。

       A大ぶりの湯飲みで薄手に出来ているから、湯も冷めやすいが
       春先から初夏の頃の喉が渇く季節にはたっぷり茶も入り、重宝する。

       飯茶碗、汁椀、湯呑、箸は結婚以、揃いのものを購入しているが
       夫が手掛けるようになってから、飯茶碗、湯飲みの殆どを夫の作品で間に合わせている。
       毎日のお茶は揃いの湯飲みに入れて、その一つを夫に進ぜている。

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       今朝の湯飲み、釉薬は「白萩」今日が終わったら、来年の初夏まで仕舞っておこう。

           丁寧に淹るる朝の茶鵙日和    ふきのとう

       
posted by ふきのとう at 09:23| Comment(8) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

菩提寺へ

                 能満寺
     我が家の菩提寺となった寺の住職から、墓誌の戒名彫りが出来上がった旨の
     連絡を頂き早速、寺へ。寺領には日本三大蘇鉄の一つがあり、山頂には城が立ってい
     るから平日であっても訪れる人も多い。   

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     永代供養であるから先づは「皆様、おはようございます」と、ご挨拶して。
    「お父さん、〇〇です、お早うございます。本日のご機嫌はいかが?私は元気です!」と、挨拶。
     住職からは線香は一本で良いと言はれているので、従がって一本。

     ⇓寺は中学生時代の通学路の沿線にあるから非常に懐かしい!当時のままの風景も沢山ある。

      DSCN0423.JPG                                                                             
     この川も当時のまま、護岸工事もしていないから60年も前と変はってはいない。

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     今は歩道となっているが、当時は軽便鉄道が走っていたから線路があり、軽便が
     来ない時は、線路上を(川の上)を歩いて渡るのだった。
     学校からは「絶対してはいけない行為」と強く言はれていたが、当然のように中学生の
     三年間、反則を繰り返していた。違反しない生徒は、滔々と流れている川の上の線路を
     「臆病で渡れない」と自他ともに認めているのだった。
     ワタクシ!?、当然渡りました。(率先してかな?)良くないことをした時、大抵は
     親から「芸者に売っちゃうよ!」と言はれるのだが私の場合は、サーカスに売ると
     言はれていたから、想像にお任せする。100メートルを16秒代で走っていたから
     お茶の子さいさいだった。

       持ち帰るともなき木の実拾いけり     ふきのとう
       御手洗の底に木の実と青空と       ふきのとう


     
posted by ふきのとう at 18:29| Comment(12) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

今で言うホームレス?

                ある夜の上の駅で
      ウナ電で知らせを受けた、義父の危篤、先づ夫に知らせ、娘をお隣にお願いして
      私は郵便局に預金を下ろしに急いだ。義兄からは義父が危篤状態になった時は電報で
      知らせるが、兎も角慌てないようにと前々から聞かされていたが、いざとなると落ち
      着いてはいられないものだ。喪服や着替えを詰め込んだ鞄を持ち、留守中の事を両隣に
      お願いして、高槻−京都−東京−花巻まで急ぐ、上の駅に着いたのはその日の夜の九時
      過ぎ、寝台特急「はつかり」を待つための、上の駅のホームでの出来事。
      夫が娘と私の為に飲み物と食べ物を調達するべく駅構内の「売店に行って来るからここで
      待ってて」と言い、ホームに新聞紙を敷いてくれたので、私は眠っている娘を抱いて鞄と
      共に言はれるままに夫を待った。当時の上の駅は、人影もまばらで薄暗かった。
      何やら、遠くから鉄道公安職員がライトを振りながら私と娘に近づくと、職務質問をされた。
      紙袋を抱へ遠くから「すみませ〜んそれは私の女房と子供です!」
      と言って駈けてる夫の顔をライトでを照らした。男性は背広を着れば様になるが、痩せてしまった
      私は濃紺のツーピースもだぶつき気味で、おまけに貧相で子連れ、髪をゴムで纏めていた
      だけだから、路上生活者と思われたのだろう。「こんなところに座らせないで、あっちの椅子
      掛けさせなきゃあ!」と言って公安員立ち去った。義父の最期もを看取ることも出来、
      兎も角、急いで来たことに安堵したのだった。昭和46年6月17日夜の上の駅の体験だった。

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      比較的出来の良い作品は他人様にお譲りしたために、あまり納得の
      ゆく作品では無いが、目に触れるところに飾り、自己満足している。
      夫が見たら「やめたほうがいいよ」と言うだろう。

      手に馴染む萩の御本手秋しぐれ    ふきのとう




    
posted by ふきのとう at 18:22| Comment(4) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月27日

書くまいと決めていた事

          .....を思い切って書く
ここには書かないでおこうと思っている事件が、私達夫婦にはあるのだ。極々身近な人だけの知る事件「あの事件だけは書けないわ!」と言う私に、これまでを周知の親友ふたりが「あの事件を書かなかったら、あなたじゃないし、ここまで書いたのだから、書かなくてどうするの!このブログのハイライトじゃないの!」嘘も脚色も無い事実だけれど、曲解されるのだけは御免だという思いが私にもある。「いいじゃない!誤解されても、真実があるんだから」先日、励ましに来てくれた親友が口々に言った。書けない気持ちも、書かなくてはと思う気持ちも100%で、いつもブログを書いてきたが今日は一大決心をして書くことに決めた。

              善光寺事件
その日の信州は雲一つない晴天、夫の要望で「鬼無里」へ水芭蕉を観に行った時、事件は起きた。
これまで何回も訪れた尾瀬は何れも、夏か秋で、水芭蕉にはお目に掛かれなかったから、この際信州まで行こうという事になった。元来旅行嫌いの夫が珍しく行って見ようと言うので従った。鬼無里を後にして善光寺が60年に一回のご開帳であることを知り「ねえ、善光寺に寄ってみない」と夫に言うと「いやいや、このまま帰ろう」と夫が言った。「せっかくここまで来たんだし、この次のご開帳には、私達生きてはいないんだから寄りましょ!」と私は言った。すると路肩に車を寄せて「降りて!僕は行くからね」「帰る」ではなく「行くからね」と。ショルダーバックだけ持って私は車から降りて夫を待った。どこかの駐車場に車を止めて来るものと思い、善光寺の参道を歩きながら、寺を見学して、元の場所に戻れば夫が待っていてくれるに違いないと考え、階段廻りを済ませて、降ろしてもらった場所に戻った。約1時間ほど待っただろうか。そう、夫は戻らなかった。ショルダーバックに大金は入っていないし、不安が募り心臓が張り裂けそうだった。そうだ、引き返して見覚えのある観光バスに交渉してみようと咄嗟に思い、客を待っている観光バスをノックして、運転士に「すみません、お願いがあるんですけれど、夫とはぐれてしまいました、お金をあまり持っていないのですが、静岡まで乗せてもらえないでしょうか?」すると「いやぁ、私の一存では決められませんので」と言はれた。すると後部座席の私よりも年上らしい男性が「そりゃ可哀そうに、みんないいら!、この奥さん乗せてやっても!」「いいよ、いいよ!乗ってのって!」乗客の皆が口々に言って運転士の後の1人掛の空席に乗せて貰えた。バスのプレーとには「静岡市〇〇農協婦人部ご一同様」とあった。バスの中では「きっと旦那さんも心配してるでしょうよ!」とか「奥さん良かったら、これ食べて!」などと、皆、とても親切にしてくれた。私はひたすらうつむいているだけだった。「これまでの状況を伝へる術はない」ひどく誤解されそうで置き去りにされたとはとても言えないと思った。草薙駅近くでバスから降ろしてもらい、近くに住む友人の家まで歩き、友人夫妻に送られ、家に着いた時は夜も11時を回っていた。玄関は開いていて、出て来た夫に、友人夫妻が「ダメじゃん!奥さんを置いて来るなんて!」と言うと「いやいや、僕は 帰ろうって言ったのに、何でも降りたいって言ったんだよ」と...「「そう言ったって長野でしょ!いくらなんでもひどいわよ!」と友人の奥さんが言うと「そうかね〜ぇ、女房の希望通りにしただけなんだよな〜ぁ」「兎も角有難うございました。ほんとにご迷惑をお掛けして」私が礼を言って夫妻は帰って行った。信じ難いかも知れないが、鬼無里で喧嘩した訳でもなく、置き去りにされた原因は未だにはっきりしない。ただ物の事を否定する場合、何事にも大袈裟に振る舞う私に比べると、夫は静かに否定るタイプだった。好きも嫌いも強調的に言う私に「あまり好きじゃないと言う言い方もあるよ」といつも窘められていたから、あの日の「僕は行くからね」は夫の否定だったのか否か。この事件を知った親友たちは、バスで帰って来た私の行動に驚いたと今でも言う。また、この件で夫を責めたことがないことを知っていて「あなたの気持ちが理解できない」とも。農協のバスになんか乗らないで、着払いでタクシー代を夫に払わせれば良かったと言うのだ。「私なら離婚したかも」と本気で言う1人もいた。お悔みに来ていただいた夫の親友から「奥さん、善光寺事件、〇〇さんはその後、謝りました?」と聞かれ、「いいえ」と答えると「実は〇〇さんはとても気にしていましたよ、未だに責められないのが怖いって...」と言はれた。「置き去りにした理由はお聞きになりました?」と聞くと「いやね、かなりしつこく理由を聞いたんだけど、只々、家に帰りたかったって...」と言はれた。どんなに腹の立つことがあっても、私はこの事件をジョーカーとしては使はなかった。あまりに情けない事件だっただけに。真意が他に有ったかも知れないが、黄泉行きの切符は入手困難であるし、真実が曖昧なままに迷宮入りの事件だ。
       
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      パソコンのデスクの上にある若い頃の夫の写真、比較的温顔で意地悪には見えない

               ウナ電
           URGENT県黄泉郡黄泉町 43番地 夫殿  
            ゼンコウジノケンキキタキコトアリヘンマツ
                                 葦原の中つ国の妻
                            
     
     
    
   
     

posted by ふきのとう at 22:52| Comment(19) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

雨の日を処す

              こんなものが.....
    野良に人影もなく、雨音と自家水道のモーター音、暮らしの中の音はそれくらいのもの。
    時折鳴く鳩のくぐもる鳴き声は、独りで聞くにはもの悲しい。「そうだ引出しの整理でも」と
    思い立ち、夫の文机、自分の机の引き出しの整理をして、極力使はない物を始末しようと。
    使えない物は難なく処理できるのだが、例え使はないと解っていても綺麗に在るものは
    中々捨てられないが、思い切りも必要と思い、思い切ったつもりだが、未だまだ残る物も多い。
    夫の文箱の中から49年前の娘の「出生届」の封書を見つけた。

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    主治医の文字、夫の記入した文字のインクも色褪せずにくっきりと読める。
    面白いのは(結婚式をあげた時、または同居を始めた時のうち、早い方を書いてください)と
    あること、新生児の体重の単位が「瓦」で記されている事だ。
    「鉛筆や消えやすいインキで書かないで下さい」の注意書きもある。1通は提出したのだから
    手許に残してあるのはどうしてか、私には解らない。
    2人の子供の命名は、私の入院中に夫が決めて届出をしてしまうので、事後承諾するしかない。
    私の父も独断で私を命名し「呼びづらい」と言った母に「俺1人で呼ぶから良い」と言ったと言う其れ
    に似ている。娘の名前はあまり類をみないが、花巻でも静岡でも初めての知る人を「ええっ!」と
    言はせ、大阪時代は「うちの子が、おたくの赤ちゃんの名前、〇〇〇ちゃんやって言うんやけど、
    ほんまなの?」本当だと答えると「愛称やと思うたわ!ほんまやったんやね〜ぇ!」とよく言はれた。
    主治医は検診の際「横文字で書くととても良いね!これからは海外との交流も盛んになるし、第一
    この植物は内外を問はず誰にも好かれていますから」ササッと横文字でカルテに書いてくれて、
    娘の名前に困惑しいる私を良く励ましてくれた。昨日訪ねて来てくれた姪が「今なら驚かないけど
    50年も前のことだものね〜ぇ」と言った。肝心の娘は就職の際、教授が名前を憶えていてくれて
    (成績ではなく)推薦就職でき、名前に感謝したと言うのだった。「お父さんは、姉さんに甘かった
    もんね!」と言う弟に「そう!誰よりもお父さんに愛されていたのよ!」と豪語した。

        子が父に合はす連弾風ひかる     ふきのとう

    掲句は水原晴郎先生の特選を頂き<聴診器譲る子のでき蕨餅  晴郎>の短冊を頂戴したのだった。
    


posted by ふきのとう at 11:11| Comment(10) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする